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人事と産後アロマ経験から、もっと産後の人の役に立ちたくなった①

今やってるひとつの仕事が3月末で終わることになり、4月からどうするかすごく考えているところです。

せっかく社労士に登録したので、興味のある分野にまたチャレンジしようか、自然療法に集中しようか。

ハローワークでも、仕事内容が社労士とセラピストってすごい振り幅ですねって言われました、、笑

いい機会だし、自分の今までとこれからを振り返ってみようと思います。

独身時代に社会保険労務士を取った経緯

社労士の資格は、20代半ばにその頃勤めてた職場があまりに旧体質なところが嫌で転職するための武器を持ちたいと思い、

週に一度スクールに通い、毎日往復2時間の通勤時間は、授業を録音したMDを聞いて復習し、

誰にも相談せず、誰とも分かち合わず、講師に質問することもなく、ひたすら孤独にガリ勉していました。

結婚とか出産とか、自分には縁のないものだと思っていて、バリバリと働きたいという気持ちだけが私を勉強へ向かわせていました。

その時はしんどかったんだろうけど、20年近く経った今となっては全くしんどさを思い出せなく、なんならいい思い出になっていることに驚く。

なぜ社労士を受けることににしたのかは、大学時代にさかのぼる。

あまり何も考えずに潰しが効くらしいという安易な理由から法学部を選び、ゼミを選択するにあたって興味を惹かれたのは、働く人の権利を守るための労働法だった。

先生はのんべえでおもしろく情に熱く、私はそれほど熱心なゼミ生でなかったにもかかわらず、卒業してからもお会いする機会があった。

社労士に受かったと報告した際は、税理士の先輩を紹介してくれたこともあったな。今はもう疎遠になってしまって申し訳ない気持ちです。

辞めたいと思っていた職場で人事に異動

旧体質で、与えられた実務的な仕事をひたすら淡々とこなしていた時に、企画分野に異動になった。

細かく常にせかしてくる上司&先輩とチームになり、数ヶ月で私は全身蕁麻疹になった。。

やればできると思っていた仕事は、やることすら辛い状態になり、転職を考える余裕もなく弱い自分を知ることになる。

そこまで弱っていた私のことを知られていたのか多分偶然だけど、半年で次は人事に異動になった。

課内で悲しい不幸があった直後に、代わりに配属になった同僚と私。悲しく重い雰囲気ではあったが、直属の先輩がとても良くしてくれた。

新しい仕事も丁寧に教えてもらい、私のミスも未然に防いでくれて、ほんとにありがたかった。母のような存在でした。

社労士の知識は正直、人事の現場ではそれほど役に立たない。立つところもあるだろうけど。

大まかな流れや理由を知っていることはいいことだけれど、現場では、対人、対役所や企業、などコミュニケーションと数字が命だったなと思う。

給料や研修業務などを担当して、人事の業務で1番その後の私に影響しているのは、病休者対応を担当したことだ。

病気休暇、休職、メンタルヘルスに関わって

私が勤めていたのは、半官半民のような団体で、バブルが弾ける直後まで高卒採用しかしておらず、

高校からの紹介でしっかりした試験もなく、行ったら通るというゆるい職場だったようです。

それが、どんどん不景気になり、半官という部分も厳しくなり、仕事内容も環境も急激にタイトなものに変わっていった。

当然、その急激な変化に耐えられない人も続出し、病気休暇者が年々増えていた。メンタル疾患と癌などか半々くらいだったと思う。

在職中に亡くなった人も何人もいて、その度にすごく悲しかったのを覚えています。

なんで、こうなるんだろう。
私が考えても仕方ないのだけど、なんとかできなかったのかなとよく考えていました。

産業医の先生も、ご自身の専門分野でない精神疾患が大幅に増えることで、私には手に負えないと責任を感じておられました。

担当していて思ったのは、精神疾患の場合は特に、一度長期で休むと復職が非常に難しいということ。

理由とかのメカニズムではなく、実績としてそうでした。

やはり未病の状態の時に、医療従事者でなくてもできるケアが大事なんじゃないか、そう考え始めたのでした。

自分自身の結婚、出産を経て

人事に来て数年経った頃、結婚して滋賀に引っ越し、妊娠したことがわかりました。

たまに残業することもあり、兵庫県から滋賀県までの長距離通勤は妊娠中とてもこたえました。

妊娠中もだけど、育休明けに長距離通勤するのは本当にしんどかったです。

学生時代から長距離が当たり前だったけど、そんな私でも、これは長くは続けられないと思い始めました。

子供に何かあった時(発熱とか)、災害が起こった時(地震とか)、すぐに帰れない距離で働くのは嫌だと思ったんです。

そして、2人の子は2人とも、肌が弱かった。
いわゆるアトピーでした。

独学でいろいろな自然療法を試し、地道に改善していく中で、仕事を辞めた後自然療法をやっていきたいと思ったのです。

そして、2回目の育休中に週に一度、託児所に下の子を預けて、アロマスクールに通いました。

育休中を活用してよかった

産後はいつも走ってました。
(常盤貴子とトヨエツのドラマを思い出します)
物理的にも気持ち的にも走ってた。

赤ちゃん抱えながら仕事したり勉強したりしてるママはみんなそういう部分が多いと思うけど、ほんとしんどいよね。

しんどいけど、こなしてるママの能力の増し方は半端ないよね。大丈夫、積み重なってる。ひとつのことしかできなかったのが、どんどんできることの数が増えていく。

健康の不安、お金の不安、自己実現の不安、
人は、不安が少ないほどチャレンジできる。

だから、育休中、雇用がまだある時にネクストキャリアを考えると前向きなチャレンジができるんです。

止まらない感じだけど、なぜ産後に特化したくなったかは次に続きますねー

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