人生の浪費
今日は一日じゅう曇り空の寒い日で、まったく動く気になりませんでした。
特に用事もないのでエンジンがすっかり止まってしまい、寝たり起きたりの繰り返し。
重だるい身体でだらだらと過ごす自分の頭に、数日前に読んだブログの記事が浮かんできます。
ここのところ、それがずっとモヤモヤと心に引っかかっているのです。
その記事には、
居酒屋とかで「自分の人生はこんなはずじゃなかった」とクダをまくような人は、「それならどんな人生が望みだったの」と聞かれたらたぶん答えられないだろう、
強く望むことがないからそうなったんだ、
そんなことが書いてありました。
(とあるYouTuberさんの、就活生へのアドバイスの言葉らしいです)
自分もそうだなあ、とぐさりと刺さりました。
どんな人生が望みだったんだろう。
なにも考えていなかった。
強く望むこともなかった。
小さい頃からつい最近までを思い返してみて、なりたかったもの、やりたかったことはいろいろあるけれど、どれもこれもふわふわとした夢にすぎませんでした。
どれひとつとして、自分がそれになれる、それをやれるとは本気で思っていなかったのです。
その道のプロの人たちを見ても、「自分もああなりたい!」といっそう努力するのではなく、「でも自分はあんなふうにはなれないな」と線を引いてしまい、やがてふいっとやめてしまったのです。
仕事関係もそうです。
業界関係の資格はたくさんありますが、この業界にこんなに長くいるとは思っていなかったせいもあり、勉強してみようとも理解しようともしてきませんでした。
いま思えばなんという人生の浪費だったことか。
そのブログには、
未来は過去の延長線上にある
全部自分が選択してきて、その結果、自分はいまそこにいる、
とも書いてありました。
もし自分が本気でなにかに取り組んだことがあるのなら、強く願い、粘り強く向き合ったことがあるのなら。
そうしたら、人生の後半を生きる今この時になって、こんなにも覚束ない気持ちを味わうことはなかったかもしれない。
過ぎてしまった時間は取り返せず、残っている時間がどれだけあるのかは分かりません。
ただやっぱり、最後の最後に「こんなはずじゃなかった」とため息をつくようなことになりたくはない…
たしかに人生は後半に入りました。
でも終わったわけではないのです。
「どんな人生を望むの?」
折々に思い出して、自分自身を振り返りたいと思います。