今日の本棚 : その熱量に脱帽
気になるタイトル
図書館で「次は何を借りようかなあ」と書架の間をうろうろしていた時、ある本の背表紙が目に止まりました。
「ムラブリ 文字も暦も持たない狩猟採集民から言語学者が教わったこと」
…??
文字も暦も持たない?
ふだんの語学の勉強は中国語9割、ロシア語1割で、狩猟採集民にはまったく興味がないのですが、思わず手が伸びました。
文字はともかく、暦がなくてどうやって暮らしていくんだろう、と単純に疑問に感じましたし、「ゆる言語学ラジオ」でアマゾンの少数民族・ピダハンのフィールドワークの話を取り上げていたことを思い出して、ちらりと興味が湧いたからです。
ゆる言語ラジオのピダハン回のリンクはこちら。
ムラブリ語との出会い
著者の伊藤先生は、大学の人類学の講義で見た「世界ウルルン滞在記」がきっかけで、タイとラオスの国境地帯に住むムラブリの言葉を研究し始めたのだとか。
まさに運命というか天啓というか、衝撃的な出会いだったのですね。
とにかくこの言葉を話せるようになりたい、そういう思いが強かったためもあるのでしょう、卒論発表で研究動機を聞かれた時、先生は「美しい言葉だと思ったからです」と答えてしまったそうです。
卒論発表の場なので、答えるべき動機はそういった情緒的なものではなく、教授陣からも「そうじゃなくて、学術的な理由を教えてください」と言われて、恥ずかしい思いをしたとのこと。
が、人を突き動かすエネルギーの元の元を突き詰めると、案外そういうシンプルな答えにたどりつくのではないかな… と思います。
ある言葉を極めたいと思った時、言語として珍しい特徴がある、研究するだけの価値がある、なんてことは二次的なものというか。
とはいえ、やはり学者にまでなる人のエネルギーの注ぎ込み方はすごいですね。
ムラブリの言葉に出会って一気にムラブリへと向かい始めた伊藤先生は、大学を一年休学。
ムラブリ研究の足がかりとなるタイ語を学ぶために、半年はバイトで留学費を貯め、残り半年はバンコックに渡ってタイ語の勉強。
すごい、の一言です。
のんびり日本で暮らして片手間に勉強している(それで「なかなか喋れるところまで行かないなあ」とぼやいている)ような自分は甘い甘い。
明日のことは明日の自分が決める
ところで、タイのムラブリは近隣の定住民の仕事を手伝いながら現金収入を得ているようなので、完全な狩猟採集生活というわけではなさそうです。
文字や暦を持たないというのも、ムラブリ語としては持っていないけれど、タイ語としては持っているはず。
このかけ離れたムラブリ語世界とタイ語世界が、ムラブリの人の頭の中ではどう整理され共存しているのか、ちょっと想像がつきません。
(自分の読解力不足かと思いますが、先生の著者からはそのあたりのことがよくわかりませんでした)
ただ、暦というか、時間の感覚についてはちょっと面白いなと思うことがあって、ムラブリの人たちに調査を手伝ってもらおうとして明日の予定を聞いても「わからない」と言われてしまうのだそうです。
彼らはスケジュールや時間に縛られない。
明日のことは明日の自分が決めるのです。
これ、最近よく耳にする「今ここを大切にする」ということと、どこか通じるのではないでしょうか。
私たちにはたくさんの予定があって、いつも予定に縛られていて、で、時々その予定に疲れてしまう。
頭を占めているのは未定の未来。
この目に見えているはずの「今ここ」を大事にできていない…
お前、帰ったか
先述の通り、ムラブリ語には文字がないので、研究しようと思えば現地に行ってフィールドワークするしかありません。
(タイ文字でムラブリ語を書き表してみようという発想は、ムラブリの人にはやはりないのでしょうかね?…)
初調査の時には色々と失敗があった伊藤先生も、いつの頃からか、村に行くと「メエ アワール(お前、帰ったか)」と声をかけられるようになったそうです。
来たか、じゃなくて、帰ってきたか。
これ、嬉しいだろうなあ。
ただムラブリの言葉を話せるようになっただけではない、
自分がムラブリの人々に受け入れられ、ムラブリの文化に一体化してきたことの証のようで。
附 : 富山大学 学生寮
さて最後に、ムラブリとは関係ないながら面白かったエピソードを。
先生は富山大学の出身で、学生時代は学生寮に入っていたとか。
で、その学生寮。
入学式の前日には「新入生粉砕コンパ」を行い、銘酒「立山」の一気飲みで新入生を文字通り粉砕。晴れの入学式に二日酔い状態で行かせるという猛者ぶり。
伊藤先生は1986年生まれなので、大学生になったのは2000年代なかばですよね?
21世紀になってもまだこんなバンカラな世界があったんだなあ、ということに驚きと羨ましさを感じてしまったのでした。
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