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お星様。

長女、李依咲が5/21にお星様になりました。

私のお腹にやってきて、半年後
心臓に異常が見つかりました。

そして大阪で産まれ、岡山で手術。

本人たっての希望で、大阪に拠点を戻しました。

私の子育ては、年齢問わず選択肢は3個与える。

そういうやり方で、8年。

ことしの2月、李依咲は風邪をひきました。
普段から常薬として抗生物質を飲んでいた事もあり
様子見の日々。

その間も、母の感と言うのでしょうか…?
風邪では無いのよ、、って。
ずっと感じており、日中、夜間と主治医の居る病院へ
何度も通いました。

でも、やはり夜間に行くと本人も安心感からか
先程までのシンドさは無くて、帰らされる始末。

お母さん、どうしんどそう?
と聞かれるんですけど、いつもよりサチュレーションが低いし、でも、何となくなんです。
絶対、風邪じゃなくて普通じゃないんです。

としか言えませんでした。

そして、入院になったその日は
朝から何かグッタリを越えて朦朧としてて
それなのに、通院する足が無くて
やっと、昼過ぎに駆け込めました。

その時も、血液検査の結果では帰れると言われました。

が、エコーを病棟でしたいと言われ
病棟に上がると、エコー上ほぼほぼ心臓の一部が動いていないと告げられたのです。

勿論、そのまま入院。
治療をし出すと帰れるんだと思っていました。

1週間目は、久々の二人きりを楽しみました。
2週間くらいからかな?、
『死んだら、どこの世界に行くんやろ…』
『死ぬって今よりしんどい?』
なんて、聞くようになって。。。
1ヶ月たった頃には、
『やっぱ、8歳が限界やわ』なんて。

李依咲は、よく『8歳までしか生きれないから』とか
約束の時間があって、それは、8歳まで。
と口にしていました。

しょーもないこと言うな!
なんて、私は、怒ったり。。。

そんなこんな、していたら
祖母にステージ2のガンが見つかり、付き添い入院が
できなくなりました。

毎日、テレビ電話ができるように携帯を変えて
入院してる祖母と三者通話をして。

小3の女の子が、1人で入院です。
中々、辛いものがあると思うのに、泣き言を聞くことはありませんでした。

だんだん、経口摂取が出来なくなって
鼻のチューブも使ったりして頑張っていました。

院内学級も、毎日来て下さり勉強もしていました。

李依咲が亡くなる、2日前急に
『産んでくれてありがとう』とLINEが来ました。

こちらこそ、ママを選んでくれてありがとう。

そう返信しました。
彼女は、もう先が無いと数日しか無いと
きっと分かってたんだと思います。

彼女と生きた、歩んだ8年は、
楽しい事よりも、お互い大変や不憫な世の中に
辟易する事も多かったです。

でも、娘を亡くしたのに喪失感が強くはありません。
それは、産んでくれてありがとうをくれたから。

3年生で、そんな事を言える素敵な子を持てたから。
そして、親子としての関係性がきっと他所とは違う
そんな仲だっからだと思います。
きっと、イコールだったから。

私には、喪失感はあまり持たせない為に
産んでくれてありがとうというLINEを送ってくれたんだと思います。

李依咲には、直接触れたり会えたりはしません。
でも、きっと近くにいて私達と居る気がします。
一番の理解者だった、李依咲はもう居ません。

でも、お星様になって、もしくは李依咲の大好きな
猫にでもなって……。

また会いに来てくれる。

またね、ってもういいかな?って言ってたから。

そして、約束事がもう1つ。
ママの好きな、キラキラする仕事をして欲しい。
キラキラしてるママが好きだよ。

私は、コレを叶えなきゃなりません。

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