在るがままの自分で生きるって?
そう思いませんか?
「在るがままなんて、子供じゃあるまいし
大人の世界に在るがままなんてある訳ないじゃん、
大体そんなわがままばっかり言ってたら
社会は成り立たんよ?」
それに、親にも先生にも
輪をはみ出ないように。列を乱さないように。
そう言われましたけど?
今の世の中の自由な風潮と
我が身のギャップを感じ、違和感。
在るがままに生きているように見えるひとや
好きなことをして幸せに生きよう、と言ってる
ことに本当に嫌気がさしている方に
朗報です!!!!
今回長くなるので、シリーズで書く予定ですが
よろしかったらお酒のつまみ程度に
お付き合いくださると嬉しいです。
ゆとり世代。ではなくスパルタでびしばし育てられ
荒波に揉まれた、昭和40年代世代には
ほんのりとオッサン感が漂うこの場に
共感していただけるはず(たぶん)
昔のことすぎて
笑ってしまうんだけど
トラウマに近い出来事だったから
今でも覚えてるのだろう。
今なら、Twitterなんかで即炎上するでしょう。
ある日の給食の時間。
給食当番の子がうっかり
クラス全員分のカレーの入った寸胴を
廊下で倒してしまうという事件が起きた。
もちろん、わざとではないし
ふざけてもいなかった。
でも、カレーは全部こぼれた。
このままじゃ、給食なし?
床一面に広がったカレーを拭いた雑巾の匂いが充満する教室で、カレーなしのご飯と牛乳になることを
みんなが悟った。
なんで今日に限って、カレーなの、、、
結果的に、責任を感じた給食当番が
各教室にお願い行き
クラス全員が、他の全学年全教室にお皿を持って
ひとりずつカレーを分けてもらい、なんとか
全員分を賄えた。
空腹のまま午後を過ごすことは免れたが、
「誰かに何かをお願いする」ことに対して
担任はプライドなのか、意地なのか
きっと他の教師に対しても示しがつかないと
思ったのか。
それを物語るように、この直後、
子供たちにとって理不尽な死の宣告が下る。
「今日の昼休みは当然なし!クラス全員連帯責任だから昼休みは全員正座」
彼は、一点を見つめるような冷たい目で
そう言うと
自分だけは椅子に座った
当時、小学5年生だったわたしたち5年2組は
誰も意見が言えず、担任の命令に逆らうことなく
昼休みの30分間も全員が冷たい床の上での正座に
耐えたのだ。
この担任は、気分屋で、
その日の気分で教室の空気を支配していた。
あなたは
なんで、先生になった?と聞きたかった。
他にもエピソードは色々あるけど
止まらなくなるからこの位にしておこう。
今なら、体罰にもなり得るし
親に訴えられる行為だろう。
もちろん、この担任は
好かれていなかったけど。
子供ながら、自分じゃ担任が選べないことの
絶望感と理不尽さを痛感していたし
諦めもあった。
自分の運のなさに嘆き
ああ。始業式の担任発表の時の悪い予感は
当たってしまった、、、と少しだけ
自分の直感を信じられる場面だった。
それよりも、なによりも問題だったのは
自分の意見を誰ひとりとして、言えなかったこと。
教師がポンコツだった、ということが
言いたいのではなく
自分の意見を言えないような場
つまり、人としての尊重が感じられない空気が
蔓延していたこと。
子供だから、大人だから、の境界線なく
対等な人間として、理不尽に扱われたら
意見を言うのは普通だと思う。
だけど、それは
大人が自ら、
子供が意見を言える環境を作る必要があるのだ。
言えるような空気じゃなかったし
なによりも威圧感があったことは
今でも感覚としても残っている。
誰かに言われた通りにやり、
余計なことはしない、
企業戦士を育てる教育なら大成功。
だけど
自分を生きる、のは愚か
選択することへの自主性もなければ
在るがままどころじゃない。
意見も言えない上に、自信も育たないので
みんなと同じことなら安心で
それに対して疑問も持たなくなる。
考えることをやめ、
主体性を持たない、人生全部が受動的な
人間が育つしくみ。
これは、家庭の中でも同じだし、
今も同じ。
そのまま、大人になったらなったで
倍率の高い就職活動を経ても受からず
やっとの思いで入った小さな会社では
先輩からの厳しい洗礼を受ける。
意見も言えないから黙って必死に耐え
ようやく自分が先輩になったら
今度は後輩には甘く見られる。
女性なら、出産してキャリア中断、
復帰したらしたで、パートしか空きはない。
いいとこで契約社員。
これは、ある有名ヘアサロンの圧迫面接で
実際に面接官に言われた言葉
当時はかなり落ち込んだけど
今思えば、この中に才能があったんです。
この、才能の話は最後に書きます。
女性が出産という
人生が変わるイベントを迎えた場合、
出産後にこれまでいた職場に復帰するか否かで
その後の道は大きく変わる
有名企業か大手、外資、医者か弁護士、研究職など
ごく限られたエリートでもない限り
わたしのような一般人は復帰の道は限られる。
女性は、キャリアという観点でも
その後の昇給につながる
出世コースからは外れるのだ
他の人と内容が同じ業務をこなしても
扱いは、半人分。
子供が具合悪いとかで休みがちになれば
肩身が狭い上に
尚更、昇給は難しい
男性優位社会、企業には居場所を作れず
結局は、起業しか道がない。
それが現実?
こんな世界は嫌だと思いながら
何が嫌なのかって
良いひとぶって健気に生きてきたことに
いい加減、うんざりしていた。
自分らしく、とか
ありのままで、とか
意味わかんない。
できるならとっくにしとるわ!怒💢
時代は、変わる
変わらなきゃおかしい
この時代に逆らえば苦しくなる
男女のボーダーラインがなくなって
女性が仕事をして稼いで
男性が育児や家事をするのが珍しくなくなり
男らしく、や
女らしく、が淘汰された
いい時代になったなぁ、と自由を感じる反面
時代に少しだけ取り残された感があり
自分の身近ではリアルに自由じゃないから羨ましいと思っているかたもいるはずなんです。
自分の周りには
大抵自分と同じ時代を生きてきたひとがいるだろうから
やっぱり集団意識を抜けようと
突然自分ひとりだけ軌道を外れようとすると
そんなつもりはなくても周りと不調和が起きたりも
したり。
そこが、怖いから変わりたいけど
変われない、ということはよくある。
ここまで
ただの文句ばかりの文章に見えるけど
これには、どうしても世代間の意識の差を
感じていたのです。
そして、冒頭に書いたように
この先の話があります。
集団意識を変える話。
ひとには、生まれ持った、役割がある
使命という言い方もある
ひとり残らず使命とか、役割があり
役割以外のことはしなくていいし
ただ自分の資質のままの役割を全うすればいい
としたら?
できないこと、不得意なこと、
それは、これまでなら
努力や根性でできるように頑張りがちだったけど
できないこと、は誰かにとっての役割になるので
余計なことをして、誰かの役割を奪ってはいけない。
鳥は魚になれないし
ペンギンはジャングルに住めない
鳥は鳥として生き、魚になりたいと思ってないし
ペンギンは、ジャングルを目指さず南極に住むのは
当たり前のこと
ひとつは、生まれた時点で決まっている先天的資質
もうひとつは、
育つ環境の中で身につけ、成長していく
後天的な才能
資質は、育てることで才能になる
社会(人との関わり)のなかでは
意外にも、生まれ持った先天的な資質ではなく
育つ環境の中で身につける後天的な才能しか
生かせない。
なぜなら、先天的な資質や素質って
本人には当たり前すぎて、自覚もないものだから。
つまり、自覚もないなら言語化しにくいし、
人にも伝わりにくいからです。
当たり前すぎることって、ただ通り過ぎるじゃないですか。
それよりも環境や経験から育てられるとも言える、
自然とやってしまったことで失敗した体験を克服してきたことが
誰かにとっては役に立ったり
場合によっては感謝されることもある。
例えばしゃべるのが得意だとして。
得意が故に
静かにしなきゃいけない場面でしゃべって
怒られた、とか。
見方次第で才能にも欠点にもなる、ようなことが
誰にでもあります。
自然とやってる、が故に
苦い経験を持っていたりもするんですよね。
特に子供時代にした、苦い記憶はないですか?
わたしの場合は、何もしてないのに
変に偉そうに思われて
目立って先生から嫌われたり。
最初に書いた小学5年生の時の担任からは
問題児扱いされてました。
あとは、よく知らない先輩から目をつけられたり
脅されたり。
今では笑い話ですが。
良くも悪くも目立つので、周りから浮いてしまう。
変な人、変わった人、とかね。
変な人、変わった人、のままに生きればよかったんだけど、そこを封印してしまった、
だから、面接官に見抜かれた訳です。
わたしは、変な人のままでいい
隠そうとせずに、
自分でも封印していたことに気づいて、
むしろ生かすことを意識して行動すれば
無駄なことをしてエネルギーが消費されることも
なくなりますよね。
いま、疲れてるとしたら
余計なことをし過ぎてたり
本当の自分の才能を活かしていないからかも
しれません。
だから、苦い記憶って
実は自分の才能を知るチャンスとも言えます。
自分が、自分のままで生きられると
本当に楽だし
結果無駄なこともなくなり、疲れにくくなる。
人間関係も
凹凸が補い合うかたちで
社会が平和に循環します。
想像しただけで素敵すぎるでしょう、こんな世界。
成長する過程の子供に接している先生に
ぜひ学んでほしい内容ですよ。
在りのまま、の奥深さよ。
地球平和にしかならないじゃないの。
この話を聞いたのは、意識や思考のからくりを学んだ時。
わたしは心の底から癒されて
長年の疑問が解決に向かい、
今までの理不尽とも思える自分が生きた時代背景も
やっと腑に落ちました。
縦よりも、横。
階段よりも、横向きの梯子で繋がる感じ。
自由を感じるには
不自由が必要だから。なのね。
黒と白、白と黒のコントラストって
鮮明です。
人間て、なんてドラマティックなのか。
そう思いませんか?
だって、このままじゃ
わたしたち、昭和世代が永久に報われないじゃない?
巨人軍だって永久に不滅なのに。笑
もったいぶる訳じゃないけど
この、循環のサイクルは
また別の記事に書いてます。
わたしを含む昭和世代にエールを!!!