崩壊からの復活劇
世の中の流れに同調するように、
いくつか複業をして
生きてます。副業ではなく、複数の仕事の方の、
複業。最先端です。笑
昔ならフリーターっていう言葉に
あてはまるんでしょうね。
違うのは、SNSがあるかないかでしょう。
そんなわたしも、やりたい事は決まっている職人タイプの人間でマルチタスクが向いている訳ではありません。
どちらかといえば、流れで復業やフリーランスになりましたが、そんな方もそうでない方も。
今回は挫折からの復活、をテーマに書いてみます。
精神が崩壊から復活するまで
※所々に分岐が出ます。ゲームみたいですね
美容師の経験を積みアブラが乗ってきた頃、
管理職に。33歳。職場の同僚美容師と結婚し、
妊娠が分かる。
子供を生む選択をして、34歳。
A. 辞める
B. 続ける(育休はない)
5年の結婚生活は色々ありましたが、もう過去は
あまり覚えてません。
夫も休みなく働き、経済的には困ることはなかったものの、精神的な余裕がなかったと思います。
すれ違いが増え、子供を連れて離婚。
離婚後、雇用保険もないブラック企業で
美容師に復帰。
雇用保険がないのは
知名度、全国展開をしている会社の下請けだから。
時給がある程度良かったのと、通勤の利便性、土日休めるから。が勤務先を決めた理由でした。
A. 美容師でパート
B. 美容師をやめて別の仕事に転職
6年経ち
ちょうど新型コロナの影響で会社の経営陣が変わり正社員ではないわたしは優先的に切られて
ある日突然、仕事がなくなりました。
ママさん美容師をするなら
男性や女性の差がない仕事で美容師を選びましたが
結局は男性と違った面は
母子家庭で正社員の美容師なんかできないこと。
サービス業は基本土日、祝日は必ず出勤で、退勤時間は21時です。正月も祝日も休めない。子供がひとりで家で待つには危険だし長すぎる時間。
子供がいる状態で美容師を続けるなら、土日休みのパートナーと結婚するか、自分がパートタイマーになるか、親と同居するか。条件が限られます。
A. 社員になる(子供はひとりの時間が増える)
B. リスクはあるけど時間を選ぶ
クビになった日
クビ。明日から仕事もない。
さて。これからどう生きようか。
母子家庭、クビ、経済的困窮。
アルバイトの面接に行っても
落とされまくる日々。
PCスキルもない、接客以外の事務作業もした事がない中年女性なんて、雇う側からしてみたら何のメリットもないんだから当たり前ですよね。
仕事はしなきゃ生きられない。
だけど、生活費を稼ぐだけの仕事が決まらない、ってかなりのストレスです。
そんなことが続くともう、いいや、
生きる意味もないと思えてきて。
雇ってくれる会社がなくてもいいや。
死んだらそれはそれで。
ある日突然、雷に打たれて感電したような気持ちでした。
精神的にもかなり鍛えられましたね。
それに合わせて工夫したり、創造力も発揮できたのもありますが。
貧乏でも不幸ではなかったけど、
なりたくてなってる感覚はありませんでした。
わたしはメンタルはそんな弱い方だと
思ってはいなかったですが、さすがにこたえました。
何もしなくてもただ涙が出てとまらない。
眠れない、
顔も洗わず、誰とも会わず。
挫折、完全に人生が崩壊してましたね。
やり直すきっかけ
もう、なにをしてもダメで、仕事も決まらず
国からの自立支援制度を半年だけ受けました。
自立までに細々とアルバイトで繋ぎ、
なんとか家賃も支払えてる。
今こうしていられるのは、精神的な復活ができたことが一番。
行政はありがたいです。
離婚後10年。駆け抜けてきたけど、
経済的にも時間的にも不安定で不自由な思いをしてまでなんで生きるのか。
何のために生まれて今ここにいるのかが
知りたい、と願ったら答えが目の前にありました。
Ask and It Is Given 願えば叶う
その答えは全部自分自身のなかにある、と教えてくれたのが一冊のエイブラハムの本でした。
今も心に残っていて何かのたびに思い出す言葉があります。
あなたは忘れたかもしれないが、思い出してほしいこと
A. これも、道の途中
B. どこにいても、そこからやり直せる
お金に苦労するのも、夢が叶わないと感じた現実も
報われないと思ったことも、
全部自分が創り出した現実です。
そしてそれも創造の途中。
どの分岐でどちらを選んでも
変わらないことは
わたしは承知の上で、この世界と肉体を選び
生まれてきたこと。
忘れてしまっていたけど
ここで思い出せてよかった
忘れていただけ。
わたしは、創造の喜びを味わうために、生まれた。
自分が何者なのかがわからないという時は
どこかで思い出すと約束して 生まれてきたからだと思います。
お読みくださりありがとうございます。
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