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サバイバル

ニューヨークの物価ははっきり言ってバカ高い。
そんなとこでも一日無料から500円相当で生活やっていけるプロ住人は居る。そういう人たちに限って情報力と体験に基づいて、どこで安く買えたり無料で得たりかは把握ができている。そんなプロ住人たちも過去には想像を絶するほどホームレス体験をしてきた、そんな話には納得してしまう。
無料または安く購入、底沼でも生活に困らない方法というサバイバル術が出来ているようなら、世界どこへ行っても「何とかなるさ」というポジティブ的な思考で生活していけるのだ。

日本人でニューヨークでの貧乏自慢ユーチューバーが個人的にプチ話題になっていて、彼が映像で公開してた自分の家や所有する車を観てると「彼は貧乏の類には入らないなぁ」と個人的な感想。もし貧乏人なら車は経済的に相当な負担がかかるため持てない。
毎回、お金がないと不満ブーブー云うでも彼の家は隣の建物とビッシリ並んでる2階建てのアパートで、立地的にそこに住めるのは「ミドルクラス」の人達って感じだった。だぶんだけど、大家は日本人賃借人が大好きなのかな、と私の推測。綺麗に使うのと、去る時にちゃんと掃除するという習慣があるからなのか、大家は経済力より清潔感を取る人だったのかな。

ニューヨークにで「車の所有者」というのは、運転免許証を取る手続き、教習所、筆記試験などは簡単に出来ても、車を購入するときの税金、修理代と駐車違反チケット代、駐車場の確保、車検などで金がぶんぶんと飛んでしまうため、経済的に底沼の人には私用車が欲しくても持てない。オークションで格別な安さで車を手に入れたとしても、使えるのは一時的。修理に出せば、修理代がバカ高くて車を引き取りに行かなくなり、車を失う。
ニューヨークって地下鉄、バス、タクシーという交通機関が十分、間に合っているから「車を持てるってのは、ニューヨーカーにとってはステータスのひとつ」として捉えているのだ。
車を持ってる、というのはすごいけど、運転免許証があるだけでもすごいわけです。運転免許証があると、会社の車でブンブン運転出来ますからね。

「昔の私は底沼だった。辛いとか大変な出来事ばかりじゃなくて、そのお陰でいろんな恩恵と情報をくれたから、這い上がれた。金が無いとブーブー言う暇がないぐらい助けられた。ニューヨークとニューヨーカー達に対して心から感謝している」と貧乏自慢ユーチューバーに言いたかった。

ニューヨーカーの底沼は、多くが当たり前にルームシェア。
友達んちに(または親類の家)居候してもらったり、婚姻関係なら片方に養われる形(専業主婦、専業主夫)になる。
こうしてると借金が積み重なって、返せなくなって破産申請した底沼も居るのよ。パンデミック中に職を失った人々たちはニューヨークに居られなくなって、他州へ逃げてしまうのが増えたんだ。
家賃支援してくれる公立団地に居ることになったり、そこも家賃払ってくれるルームメイトが必然的に要るし、自力で家賃払える能力のある人で底沼なら、家賃安く住むために、危険地域ゲットーエリアに限られてしまう。

もし生活保護を申請すれば、職安に毎日のように通って職探し、面接日時が決められてるイベントには顔を出す、という条件を飲み込まないといけない。そして公立団地に住んでいる人限定に向けて職業訓練、職安みたいなサービスまである。生活保護って、障害者や仕事が出来ない身体的な理由がない限り、永遠に貰えるわけじゃないからね。
身体的に仕事が出来ない人は国からの救援に頼ってもいいんだよ。精神病が原因で仕事を続けられないのもその理由の一つに入るからな。

どんな風にサバイバルしてくか、今後ニューヨークに来る人や他の日系ニューヨーカーたちにとって参考になるようなネタをちょっと書いておこう。
例えば、無料で食べ物を貰う方法。
まず先にソーシャルワーカーを見つけること。
ニューヨークには色んな救援機関がある。アジアン系アメリカンを対象とした機関があれば、DV被害者を救う機関、障害者を救う機関、黒人系アメリカン機関、スパニッシュ系機関など、色々ある。マンハッタン市内に日米ソーシャルサービスもある。
その中で自分に合った救援機関に助けを求める。なぜなら、ソーシャルワーカーによる推薦状がないと食糧を貰うことが出来ない所があるんだ。
インターネットで探して見つける情報より、ソーシャルワーカーが勧める場所が一番、信用性がある。

ホームレスしてた時期は多くの恩恵をもらった。
毎週、冷蔵庫が空になりそうになっても知恵を捻ってやり繰りしたとしても限界があったから、その時、ソーシャルワーカーに教わったのは、「指定された曜日と時間に、教会の前を並ぶこと」だった。
無料スープを提供してくれるトラックの駐車場所までも教えてくれた。
「子供3人居ると食糧がもっと貰えるはずだから、洗濯物を入れる大きなカートを用意して」と云われて、試しに行ってみたんだ。
最初は外で並ぶとき、通りすがりの人々たちにジロジロと見られるやん?
内心、恥ずかしかった。それでも私には子供たち3人に美味しい食べ物を食わせることに集中したんだ。子供たち3人には「貧乏だから辛い」という気持ちはさせなかった。私以外に高校生みたいなティーンたちも立ち並んでる姿は「勇敢」「助けてと言える勇気」に映って、恥ずかしいという気持ちはなくなった。生活苦でも明るく生き延びるのは、みんな一緒なんだね。
前に並んでた年寄り、後ろには見た目がいかにもホームレスって感じのおっさんが居て、並んでる間は軽い会話。どこから来たの?から始まって、最後には神に加護されますように、と一緒に祈ってくれた。
教会の門に辿り着き、入口には、身分証明書の照合をします。
食糧を運ぶボランティア達に「誰々と暮らしてるの?」と聞かれて「子供3人」と言ったら、食糧をこれでもかというぐらい、洗濯物カートが一杯になるまで入れてくれた。野菜、果物、缶詰め。あとは弁当みたいなレストランからの差し入れもあった。ヤバかった。
普通に買い物をしたら一万円は飛びそうな量。それが無料で貰えたんです。
裕福そうな地域にある教会だと、質の良い食糧と近所の高級レストランからの差し入れまでも提供してくれた。

何度か助けられたことか。

有難かった。
思い出せば嬉し涙。
嬉しかった事は、まだまだ続く。

私も生活保護を申請したことがあって。フードスタンプとキャッシュレスのカードが貰えた。その上、チャイルドサポートと合わせて、生活するのには困らなかったのは奇跡的だった。
ホームレス時期は徹底的に「生活に必要な物だけ」しか購入しなかった。
物欲というのが無かった。
家庭教師の代わり、無料で図書館で館員たちに宿題の手伝いをさせたんだ。子供たちは大喜び。家でするよりそっちの方が楽しいから毎日のように通った。同年代の色んな友達が出来るからね。
化粧品は買えるわけなかった。長女からギフトで分けて貰った化粧品は山ほどあって、徹底的に無くなるまで愛用した。今ある物で十分。
服、家具などは中古屋などリサイクルショップで間に合った。
フェイスブック経由でユーザー同士で安く購入、まだは欲しい物を無料で貰えるかと探すと出てくる、その探す癖は今でも続いてる。

ゲットー地域にはバスの代わりに個人事業のミニトラックがある。10人乗せられのがあって1人当たり100円で指定された場所に送ってくれたり迎えに来たりする、ほとんどは地下鉄の出入り口の前に停まってて、みんなで並んでいた。このサービスは無許可営業なんだけど、安いからみんな使ってた。何故ならバスはたまに遅く来たり、来ない日もあった。
タクシー代が高くて底沼にとっては使えないし、逆にタクシーは犯罪率の高いゲットーエリアにあまり客を拾わない。そんなとこで使うミニトラックは、まるで私がアフリカに旅行をしてきたって感じが伝わる。だって席が小さくて、ビッシリと肩を寄せ合う姿。乗ってる人々たちはアフリカからの移民たち達で、片言の英語は通じた。

殺風景なゲットーエリアに住んだことがある。

必要ないプライドを捨てて、ニューヨーク生活を支えるのなら、どんな仕事でさえ「ギャラを貰えれば、立派な仕事」。
底沼時代にやった仕事はすごい楽しかった。ガテン系だけど、体動かすのは自分に合っていた。
「無くならない仕事」、「ニューヨークで家賃払えなくなったらどうなる」この話は別の日に書くよ。





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