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【256/1096】最初に受け取っているもの
256日目。学校公開日で一日立って参観していると、立ち仕事ってたいへんだなーと思う。前は立っている時間が長くなると、もう腰が痛くて立っていられなくなったなあと思い出したり。今はそんなこともなくなっている。やはり変化しているんだなあ。
最近、自分が2年前に通い始めた呼吸・整体スクールの初回の動画を見直して、文字起こしを始めた。
やったほうがいいよなあと思っていたけど、ものすごく時間もかかるしなあ・・・と及び腰だったのだが、
「大変だけど、絶対やったほうがいいよ」
とご自身でやっている先輩に言われ、一部、自分でやったところもあって、やっぱりやったらやっただけなんだよなーと思っていたので、やり始めた。
初めに全部言われている。
あー、そうですよねー。そうですよねー。そうですよねー。
と思いながら文字起こしする。
そうかー、最近、腑に落ちたなーと思ったことも、最初に言われていたんだなー。
最初に受け取っていて、それを自分の身体をとおして、咀嚼していく作業なのかもしれない。
身体で覚えるまでは、時間の誤差がある。
ピアノも両手で弾くのは目で見て頭で理解していても、両手がすぐに動くようにはならないのと一緒だなと思う。
思うけど、時間かけすぎてるかもしれない。最初に言われてるし、みたいな思考の繰り返しもあったり。
こういう普遍的なことというのは、
何度聞いても学びと気づきがあるので、何度も聞けるというのは非常に有難い。
そして、最初にたいてい大切なものは全部手渡されている。
以前にも、「この人の言ってることは本物だな」と思う人からの音声を文字起こししたときも、「最初に全部言われてるじゃん・・・」と思ったのだ。
やっぱり、本物は裏切らない。
ちなみに、文字起こしは音声で、シャドウイングのようにやっている。
自分の声に出して言う、というのがすごくよい。
音声入力の精度がだいぶ高くて、テクノロジーの恩恵だなと思う。
これを最初から受け取れていたら、全然違っただろうなあと思うのだけど、最初に受け取れていないから学び続けているのだろうし、今だから理解できているのかもしれない。でも遠回りしすぎなのでは?と振り返ったり。。。
そして、ふと思い出したのは、書道で師範代をいただくとき、写経が必須だったなということ。
写経と言うのは、お坊さんの読経を書き写しているもので、文字起こしと同じだなと思った。(書道の写経はお手本があるけれども)
写経している言葉の意味を何度も咀嚼して、解釈する。
写経している最中は無になる。
身体を使って書かないと、良い手(書)にならない。
(小手先で書くな、と言われたなあ。そういえば。)
この動画の文字起こしは、写経に似ている。
5秒ごと巻き戻せるのはテクノロジーのおかげだけど。
そして、写経は何度してもこれで完成ということはなく、読経できるようになるのはまた別の修行が必要なのも、なんか似ている。。。と思ったり。
名称はスクールではあるのだけれど、学校のように教えてもらうのを待つのではなくて、自分がどのように学びたいか、どのように取り組むかで受け取れるものがまったく違うという体験をしている。
子どもたちの教育に「主体的に学ぶ」がすごく大事だと思っている。
だけど、自分が学生時代、主体的に学んではこなかったので、今それをやっているんだなと思う。
そして、人生は主体を取り戻して、実体を感じられるようになると、ものすごく密度が濃く、どんどん面白いものになる。
密度は濃くて手触りはあるけど、重くはないんだなというのが今のところの実感値です。
というわけで、文字起こしがんばります。
作業自体は、とてつもなく地道。。
では、またね。
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