【128/1096】マシになったくらいで、満足しない。
128日目。東京は雪が降ってます。けっこう大降り。つもるかなあ。積もると東京は雪にぜい弱だからなーなどと、雪空を眺めながら思う。
昨日書いた記事の反響がいつもに比べて、けっこうあって、メッセージくれたり、直接伝えてくれたり。
そうか、みんな同じような体験してるんだなあ。
結果を取りに行かない。
結果を出すことにこだわらない。
途中まではやるけど、最後に結果が出そうになると、わざと失敗する。
結果出したいくせに、途中経過は、「それほどでも・・・」的に見せておいてあとで逆転してやろうと思っていたが、結局はそこそこで終わる。
などなど。
目指すところ、
つまり、なんのためにこれをやるのか?を
明確にしなければしないほど、
だんだんプロセスが濁る。
濁っても、クリアしながら進めばいいのだが、
わからなくなってしまった状態だとクリアにできなくなる。
そして、目指すところがクリアにできなきゃ、
人に振り回されるのである。
目指すところは自分にしかわからないところでもあるので、
その途中にだけ関わっている人は、
「こうしたほうがいいよ」
「ああしたほうがいいよ」
「これもやらなきゃだめじゃない?」
「これ、やるべきだよ」
みたいなことをよかれと思って言ってくる。
これを言われたところで、クリアな人は、人が何言おうと関係ない。
必要なことだけ受け取って、それ以外は、そういう人もいるよね、くらいなものだ。
でも、濁ってると、自分が何をしたらいいかすぐわからなくなるので、
これもあれもどれもみんなやらないとダメな気がしてきたり、
言われたことがごもっともに思えてきたりで、
ぐらぐらになる。
結果、振り回されるというわけ。
わたしが、これをやると、何がいまいちかと思っているかというと、
「結果(成功、成果)を受け取らない」
になることだ。
振り回されるのも疲れるからイヤだけど、こっちのほうが重症度が高いと思う。
結果を出しに行っていないから、出た結果は自分のものではない。
その過程で、がんばったり、工夫したり、なんかしたことも、
ぜんぶ「ない」ことにしちゃって、受け取らない。
がむしゃらには頑張ってなかったかもしれないが、
(アクセル踏みながら、ブレーキ踏んでるみたいなものだから)
やったことはあり、そこまでの過程で結果が出ていても、
それは「自分に関係ない」みたいになる。
例えば、Aさんと一緒にやったプロジェクトで、
自分が何らかの貢献をしていることがあるとする。
Aさんももちろん、自分の仕事はしており、
一緒にあーでもないこーでもない、こうしてみよう、ああしてみようと
取り組んだとする。
終わった時、
「まゆみさんのおかげでここまでやれましたね!」
と言われたとする。
「いやいやいやいや、Aさんのおかげだよ!わたしなんて全然だよ。ほんとありがとう。」
としたら?
これの何がいけない?と思うかもしれない。
別にいけなくはない。
それに、Aさんのおかげで達成したことが80%だったりすれば、もうそれはほんとそのとおりだなと言う感じになる。
でも、これをやってるとき、
「自分の結果を引き受ける」
もしていない。
たとえ、20%の結果しか出せてなかったとして、
その20%も引き受けてない。
「相手のおかげで出来た、相手に感謝の気持ちがある」というのと、
「自分の結果を引き受ける」のは、両立する。
にもかかわらず、自分の結果は放棄している。
これをすると、ほんとイマイチだなーと思うのが、
相手と交流がおきないってことだ。
相手の
「まゆみさんのおかげでここまでやれましたね!」
をはじき返しているから。
だから、「結果を出しに行って、その自分の結果を引き受ける」は超大事だと思う。
これ、やってきた人にとっては、何言ってんの?って感じだと思うのだが、
今までやってきてない人にとっては、ハードルが高い。
アラフィフになって、がむしゃらになって、転んでこけて、すりむいて、それでも進むぞ!みたいなのは、ひえーって感じがするではないか。
がむしゃらになっても、もうきっと無理だ・・・という気持ちも湧いてくるではないか。
でも、ひえーっとやってる限り、交流は起きないし、自分は変化しない。
そして、「結果を出しに行く」ための、結果をクリアにしておかないと、
「まあこの辺でいいか」
「前よりだいぶましになった!」
で満足して止まってしまう。
そこはゴールでもなんでもなく、通過点ですらない。
そして、止まったらまた元の木阿弥に戻るのである。
(パターンとはそういうもの)
マシになった、で満足している場合ではない。
そこで終わりにしたら、何の結果もでていない。
というよりも、自分の目指す結果にたどり着いていないことに氣づけー!ということだ。
ずっと止まることなく、進み続ける。
出しに行く結果は、たぶん、その時々で変わっていくだろうけれども、
いったん目指す場所を決めて、そこへ向かって進んでみる。
やることが決まったら、あとはやるだけ。
やることをしていれば、必要なことがあらわれる。
息をするのが終わるときまで、
その繰り返しだ。
それを、身体が教えてくれます。
そして、どこを目指していくのかは、自分次第。
結果を引き受けるためにも、常に自分を磨いておくこと。
では、またね。
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