【24/1096】海岸を歩く
24日目。続けてみると見えてくるものはまだ見えないが、自分との誓いを果たそうとしている自分に出会えている気もする。
自分との約束や、誓いほど破られまくったものはない。これをどれだけ大事にできるか?実践の日々です。。
さて、今日は呼吸DOJOの日。
定期的に通って、実践を繰り返し、チェックしてもらう場。
そんなに呼吸ばっかりやってるんですか?と聞かれることがあるが、そんなに呼吸ばっかりやっているわけでもない。。。。実践が足りていないという実感はある。
実践が足りていないとは、身体ができていないということである。
身体は、自然の法則みたいなものがあり、そのとおりにしておいてあげると、勝手にそのように動いてくれるのだと思うが、今までの人生で自然の法則に逆らってきてしまったために、変な癖がついていて、その癖に依存している。そのため、やめ続ける&自然のままのことをインプットするをやる必要がある。
上半身に一切の力みを入れない。
下半身(足腰)で動く。
これが昨今の私の目標。
そのための身体の調整をしている。
(調整して身体が整った後は、そう毎日やらなくてもいいらしいです。はい。)
上半身に一切の力みを入れないというのは、たいへんに重要で、特に上腹部とみぞおちに力みが入ってると、感情的に容易に持っていかれる。
(怒った時に、怒りで身体が震えるとか、悲しくてがっくり肩がおちるとか、アタマがもうそればっかりになる感じを持っていかれると表現している。)
だから、ここの力みが入っている状態では、完全に俯瞰して自分を観ることができないんだなーと思う。
調整して力みが取れた後の観え方とはだいぶ違うので。
これを繰り返し、インプットしながら、力みをやめ続けるをするわけです。
「意地でもやらない」が大事だというので、意地でもやらない!と思うのだが、わたしの意地はどこへ行った?!と思うくらい、まだまだ気づくと力みが入る。
しかし、これは、どうも内臓の下垂と関係があるらしい。
下垂がひどいと、姿勢を保つのが難しくなる。でも、なんとか日常を過ごそうと思うと、身体を力ませてごまかしながら姿勢を保つしかない。
「腑抜け」というがこれは精神的に根性がないことではなくて、身体的に「腑(内臓・肚)抜け(下がっている・抜けてる)」になっているのである。
これを知った時、めちゃめちゃ腑に落ちた!(冗談ではない)
肚落ちしたのである。
(ちなみに、腑に落ちるは、肚(腹ではない)に落ちるということであり、肚は身体の中心である。)
私がもっとも具合が悪くなったころ、座っていても姿勢を保つのが難しかった。立っているのはもちろんすぐ疲れてしまうが、まっすぐ立つのは難しく、何かに寄りかかるか、つかまっている必要があったし、座っていてもすぐに横になりたくなった。
電車で座っていても、そのまま座っていられず、具合が悪くなるので、会社に行けなくなったのである。
あれは、腑抜けであった。
上半身がぐにゃりとしてた。
神経的には、「Freeze (凍りつく)」の状態であった。
(もっとも死に近いサバイバル状態。)
薬漬けの日々であった。
身体性をととのえれば、少し時間はかかるが、確実に回復する。
そして、疲れやすかったり、やる気が出なかったり、ぼーっとしたり、うっかりミスばかり連発したり、いつも眠そうと言われたり、何にも続かなかったり、根気がなかったり、約束が守れなかったりするのは、下垂のせいで、性格でも体力でもないのである。それを改善する方法があり、実践している。
私ももちろん改善しているが(そのうえまだまだ改善の余地がある)私だけではなくて、やれば改善することが多くの人の実践でわかっている。
変わるのに、一瞬で変化するものはない。
でも、変わるところを決めて、どうにかこうにか進むことはできる。
今までとは、まったく別のものになることが可能なのだ。
自分に期待して希望を持ってみるのもいいなと思う。
ただし、他人に期待して希望を持ったらだめだよ。
今日は海岸を歩いたのです。
行先はわからないけど、この波打ち際を足を踏みしめながら歩いたら、どこにたどり着くのだろう?とふと思いながら。
(一駅先まで歩いただけでした)
ではまたね。