【462/1096】過去と出会いなおす
今日から仕事始め。
朝一で、キッチンの換気扇とガス台を掃除してピカピカにし、キッチンの床掃除をしてから仕事にかかる。
掃除をすると、気分が良い。
仕事始めは、過去の産物を整理して、データ整理。
もう必要なくなったものは手放していく。
去年の10月から、自分のライフヒストリーのインタビューを受けていて、10回目のインタビュー。
自分の生まれた頃からの話を聴いてもらっている。
そのせいか、過去と出会いなおす体験が起きている。
この年末年始に帰省した時、特に自分の原家族の父母、妹はちょっと今までと違う人としてとらえなおせたなと思う。
去年とは違う感覚で会えたし、自分の中のぎこちなさとか、恨みつらみのようなものは、もうほとんど感じられず、ただ、目の前に存在している人として感じられた。
そして、今年21歳の甥っ子が、父と母のことを、自分の祖父母としてどうだったか?みたいな話をしてくれて、知っている話もあったけど、なんだかとても新鮮に思った。
話を聴いてもらったこともそうだけど、やっぱり、感じられるようになったことが、すごく大きいんだと思った。
解離する回路ではなくて、感じる回路を育ててきて、そっちを使える頻度が日々あがっている。
呼吸・整体で存在同士のコミュニケーションを学ぶ場があって、そこに参加できたのは本当にすごい変化をもたらしてくれたと思う。存在そのものはただそこにあることを、受け取る練習をしつづけた。
解離している感覚というのは、立体感がないというか、ぺらっぺらな感じで、私の場合はすぐに散らばってしまっていた。
身体、呼吸のことをやって、目の前にいる人が、2次元の映像で観るのと変わらない状態だったのが、ようやく3次元の立体で感じられるようになった。
質量があるという感じと言うか。
ぺらっぺらじゃなく関われることが増えた。
その目の前にいる立体の、質量のある存在をそのまま感じて、感じ続けたまま、動いたり話したりする。
え?そんなの当たり前じゃんと思われる人もいるだろうけど、解離の回路が開いている人にとって、これは至難の業である。
過去に感じると危険だから、感じないように解離したのであって、その回路を多用して生きてきたのであるから。
でも、そこに逃げ込む必要がなくなってもそれを多用してしまうと、だいたいコミュニケーションに問題が出る。
他者よりも家族に対してが一番難易度が高いのは、過去に解離したのが家族との関わりの中でであることが多いからである。幼い、まだ記憶がないころに解離と言う回路を使っているから。(そうでないケースももちろんあるが)
家族との過去をとらえなおせたなという実感が持てて、身軽になった正月であった。
過去は変えられないものではない。
では、またね。