
【247/1096】わかってほしいなら、伝えなきゃ
247日目。英語と日本語でするワークショップが無事終了。英語を聞いていると、自分も話せるような気分になるが、気分だけでもちろん話せるようにはならない。気分ではどうにもならないのだな笑
自分ではない誰かに、自分より自分をわかってもらいたいと願ったことはないでしょうか。
わたしはある。
なんなら、ほぼほぼずっとそう思って生きてきたかもしれない。
だから、自分で言葉にならないことを、私といて見てくれて、言葉にしてくれた人のことを「理解者」だと思い込んでしまったりした。
理解者を見つけると、「この人は何も言わずともわかってくれる」と思い込んでしまって、べったり頼ってしまったり、わかるよね?わかるよね?とお試し行動を繰り返したりした。
過去の私にこのようにやられた方々に、謝罪したい。。。。が、そのときはそれが精いっぱいだった、とも思う。
自分のことを、理解してくれる人は他者には存在しない。
誰か他者と一緒に居るときには、その他者との関係性の中に、何かが生まれて流れているので、自分一人で存在しているときとは、別のものになっている。
完全に別物ではないかもしれないが、一人でいるときの自分と完全一致はしない。
自分のことを理解できるのは、己のみ。
だからこそ、自分と向き合い、自分を知って、自分という存在をまるごと観る。
自分を他者にわかってもらいたければ、自分で他者に自分のことを伝える必要がある。
言わなくてもわかってほしい。
伝えなくてもわかるでしょう。
というのは、あり得ない。
「伝わっていないのなら、伝え方が悪いのだ。」というのは、私が講座を始めた頃にある人から言われた教えで、それを肝に銘じている。
伝えたいことがある方が、伝える努力をしなければ、伝わるものも伝わらない。
そして、どんなふうに伝わってほしいのか、わかってほしいのかを自分が理解していなければ、伝えることもできない。
相手に伝わらないなら、伝わらない伝え方をしたのだと自分を改める。
どう伝えたら伝わるかな?と工夫する。
わかってほしいのは、自分だから。
完全にわかりあえるなんてことは起きない。
けれど、じゃあ、わかりあうことは一切なくていいかと言ったら、私はイヤだ。
だから、そこを諦めない。
もちろん、くじけそうになったり、自分はなぜこんなことも伝えることができないのかと落ち込んだりすることもあるけれども。
落ち込んでも、また諦めないでやってみるしかないのだ。
だから私は自分のトリセツをつくって更新してきたのだと思う。
自分が自分を一番知っている。
けれども、実はよく知らないところが一番あるのも自分という存在かもしれない。
変化し続けているから、過去のものはもう古くなるし、見直して更新し続けるのはめんどうだなと思うこともあるかもしれないけど、実は更新し続けているのがいちばん手間がないかもしれない。
ずっと放置して、あれ?あれ?ってなってしまうと、どこから手をつけていいかわからなくなってしまうから。
できるところから、伝えていこう。
では、またね。
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