見出し画像

うちの子がかわいい、ということ

「まゆみさん、お子さん可愛がってるよねえ。本当にかわいいのね」
というようなことを、ここ数ヶ月、複数の友人から言われる。
そして、そのたびに、
「そうなの!かわいいの!」
と即答してしまう。

そう言うのを世間では、親バカと言うらしい。
わたしも以前は、
「いやいや、かわいいけど、こんな大変なとこもあって・・・」とか、
「かわいいだけじゃないけどね」とか、
やんわりとそのまま受け取るようなことはしていなかった。
そういうのは、「みっともない」と刷り込まれていたし、
「謙虚さにかける」態度は大人として取るべきではないと思っていた。

だけど、本音では、
「そうでしょーーーー!!!!」
と叫んでいたのだ。
うちの子、かわいいの。
もうほんと、どうしようっていうくらい、可愛くて、まいっているの。
くらい言いたかったのだ。
だから、今はもう、正直に自分の本音だけ出している。
言葉で言わなくても、たぶん、わたしからダダ漏れているし。

そして、自分の本音だけ出してみると、
「かわいいよね」
と言ってくれた人は、
それを否定してきたりしない。
そんなこと言って、バカじゃないの?みたいな態度を取られたりすることもない。
「そうなんだねえ」
と受け取ってくれるし、なんなら、一緒に喜んでくれる。
わたしもニコニコになるが、相手もニコニコになって、ほんとよかったね、みたいな感じになったりする。
それもまた、嬉しい。

わたしは、掛け値なく、毎朝起きてくる子どもたちの顔を見ると、
「この子たちはなんと可愛いのだろう」
と愛おしい気持ちが湧き出てきて、
そんな自分を不思議に感じたりする。
毎日、飽きることなく、なぜにこんなにかわいいと思うのか?と。

学校や保育園にお迎えに行った時も、
「ママー」
と言って出口まで出てくると、なんてかわいいのか!と
毎回、胸が震える思いがするのだ。

いつかこれも薄らぐのだろうなーとか、
今のうちだけなんだろうなーと思ったりしていたけれど、
子どもが生まれてからこれまで毎日継続しているので、
これはもうずっとこうなのではないか?と思っているくらいだ。
(思春期になったら変わるかもしれない、とは少し思っている。)
かわいいと思える時期は短いのだから・・・と周りから散々言われて、
うんざりしていた時期もあったのだけど、
いつまで経ってもかわいいじゃん?と、あれはなんだったんだ?と思っている。

子どもを可愛いと思うことは、悪いことでもなんでもないのに、
褒められたことをそのまま受け取ってはいけない、という教えが呪いみたいにわたしにくっついていた。
うちの親が子どもを褒めることをよしとしていなかった、
ということもあるし、
私たちの年代は、ダメなところを指摘して直す、というのが
教育としてされてきているから、かもしれない。
とにかく、褒められても、それをそのまま受け取ってはいけないと思っていた。
それに、真に受けたら、バカにされるということも、経験してきて、それに対する防御もしていた。

学生時代、ダイエットして痩せたら、
「痩せた?」と言われたので、
「うん、そうなの!」と受けたら、
変な顔をされて、「冗談で言ったのに、本気にしちゃって笑。痩せたように見えないね」とか言われたのだ。
くすくすと一緒に笑っていた子たちもいた。
その場にいた人たちに、笑い者にされたことに傷ついたけれど、
「もともとが太り過ぎてるから、ちょっと痩せても痩せたうちに入らないよねー笑」とかなんとか、
自分を笑い者にしてその場をしのいだ。

そういう体験は、一度や二度じゃなくて、嫌というほど、繰り返してきた。
でも、ほんとは自分で自分を貶めることほど、しんどいことはない。
しんどくない振りして、麻痺させて、傷ついてないことにしてしまう。
だから、良いことを言われても、そのまま受け取らずに、「いやいや」と否定することをしてきた。
最初に否定しておけば、一度受け取って喜んで、そのあと、ドーンと落とされるよりマシだ、という防御だなと思う。

でも、これは、最初から人を信じてないこととイコールになる。
言われたことをそのまま受け取れない。
っていうことは、その人の言ってることを信じてないっていうことだ。
それはそのまま、その人自身を信じてないことだし、
この人は、言ってることと思ってることが違うのだ、
というエネルギーで、人との関係性を作っている。
腹の探り合いをして、どれがこの場で正解なのか?を争うゲームだ。
かなりしんどくて、面倒くさいゲーム。
そして、自分自身のことも信じられなくなる。

わたしはもうそのゲームには参戦しないことに決めている。
自分に嘘をつくのはうんざりだし、
正直に生きるを選択したから。
正直に生きるっていうのは、自分を信頼するっていうことだ。
どんな自分であっても、大丈夫という信頼。
だから、「わたしは〜だ」と自分を主語にして話をすることを選ぶ。
あなたがどう思うか?はわたしに決められないことだという境界線をきちんと持つことにも通じている。

だから、言われたまんま受け取るし、
受け取って、鼻で笑われたとしたら、
「ああ、この人はそういう人だったのだなー」と境界線を引く。
もちろん、鼻で笑われたら、とても残念だけれど。
でも、もうわたしは嘘をついて、取り繕い合うような関係性にエネルギーを注ぎたいと思えないし、仕方がないなと思う。

そして、世の中には、鼻で笑ったりしない、
信頼できるに値する人たちがたくさんいるし、
そういう人たちと、自分のまんまをさらけ出し合って交流する方が、
ずっとずっと楽しいし、面白い。
そういう世界でわたしは生きていくのだ。




1096日連続毎日書くことに挑戦中です。サポートしてくださるとものすごくものすごく励みになります◎ あなたにも佳いことがありますように!