【805/1096】自分の毒を把握する
仏教では、心の三毒という教えがあるらしく、
その3つとは、「貪瞋痴(とんじんち)」である。
私は特に熱心な仏教徒というわけではないが、自分の中にある、これらの毒にどのくらい気づいているか?というのは大事だなと最近思った。
あまりにもこの三毒におかされている状態だと、その状態であるということにも気づけない。
渦中にいる真っ只中、みたいなときである。
そこから少し距離を置いて、自分に余裕がある状態で、客観視ができるような状態になって、自分にもこういう毒があるなあと観えるようになる。
そこから、その自分の毒を無毒化する。
無毒化するには、こういう毒があるとただ観る。
ただ観るってなんだよ?と思うのはよくわかる。
自分も観る前はそう思っていたし、なんなら、
「もうさんざん観てるし!こんなにやっても無理なんだ!」と思っていたこともある。
でも、そのことを思ったり考えたりして、湧いてくるものがあるうちは全部を観てないので、観るしかない。
仏教では、この三毒を垢と呼ぶこともあるらしく、垢をとりのぞくためには、三つの秘訣をすればいいと説いていた。
三つの秘訣とは、
人のために尽くす、赦す、感謝する
だそうだ。
ですよねー。
やはり、何千年の教えというのは、本質を突いているのだなあと思った。
無毒化した後、そのことについて、感謝が湧いてくることがある。
ものすごく奥深くから、ただ感謝が流れてくるような感じがした。
自分の毒は、結局のところ、自分でなんとかするしかない。
人に観てもらっても、なんともならないので。
そのために、自分を知る、自分と対話するというのは必須で、それにはやはり呼吸がいちばんである。
心と身体セラピーでは、自分の毒に向き合うことに伴走できるなというのがある。
人に指摘されて、「うっ」っとなったり、怒りが湧くものは
自分のなかに毒がたまってるってことだ。毒はけっこう塗れてしまっているので、最初は混乱するかもしれない。
混乱しているときは誰かに話を聴いてもらうと整理がすすみ把握できるようになる。
そして、観るためには、身体が必要。
その身体をととのえて、自分の俯瞰する力を育むことができる。継続して取り組めば、観ることができるようになっていく。
そして、自分が無毒化した分だけ、人の伴走ができるなと思うので、自分自身も引き続き取り組んでいる。
では、また。
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