【26/1096】まっすぐ観る
26日目。今日は、小野美由紀さんのクリエイティブ・ライティングの講座を受講しました。とってもとっても面白かったです! 自分の書きたかったことがするりと出てきて、そして、書く気がめっちゃ湧いてきました。ありがたやー。というわけで、今日は、自分の書いたものを掲載します。これを表現したかったんですよね。
「まっすぐ観る」
それは、自分の真ん中で、覚醒した自分でいるということ。
そこが自分の居場所。
そこからまっすぐに自分を相手を世界を観る。
それは、本当に純粋で、透き通った瞳の奥から、目に見えないもの、形のないものを観ている。
自分の居場所にいれば、誰がどんな攻撃をしてこようが、まったく関係がない。安心安全はここにあり、ここが自分の戻ってくる場所である。
そして、その真ん中に存在し続けるということ。
その存在が目覚めて、覚醒しているということ。
瞼が開いているのが、目が覚めているということではない。
瞼が開いていても、真ん中が寝ていたら、眠っているのとかわらない。
操り人形のように、自分以外のものに動かされてしまうこともある。
操られたくなくて、必死に戦う別のもので守っているかもしれない。
それは、たしかに自分の一部ではあるが、本当の本質の自分ではない。
真ん中にいること。
真ん中から動くこと。
真ん中で息すること。
それが「生きる」ということそのものである。
生きるとは、死に向かっていることではない。
ただ、「生きている」のである。
それが、真ん中に存在しているとき、わかる。
ああ、ここにいる。
生きている。
生きるのが怖くて、人はいくつもいくつも鎧を着て、皮をかぶって、幾重にもウソを重ねてしまう。
死ぬのが怖くて、人は見ないふりをして、ないものをあるふりして、仮面をつけ、役割をつかみ、執着してしまう。
自分の真ん中はどこか?
自然なままで、そのままで、ありのまま、あるものを使って、存分に生きる。
ただ、存在そのもので。
その存在同士で出会えた時、これほどの歓びがあるであろうか。
お互いの存在に感謝するだろう。
そして、その歓びを分かち合えることを、愛というかもしれない。
自分の真ん中で生きる者同士が、出会い、分かち合い、共創する。
そうやって、わたしたちになる。
そのわたしたちが創る世界は、どんな世界になるだろうか。
思いやり、応援、尊重、可能性、創造。
そんな言葉が浮かぶ。
楽しく、ワクワクする気持ち。
言葉に言い表せないくらいのなにか。
その広がり。
それを体験するために、わたしたちはここに来た。
曇りも濁りもない、静かで、澄んだ目で、まっすぐに観る。
自分の存在全部で、相手を感じる。
相手もまっすぐに観る。
さあ、今すぐ、目を醒まして。
今ここから、はじめよう。
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「まっすぐ観る」については、これからもっといろいろ表現していきたいと思います。
では、またね。
★告知★ 呼吸のワークやります◎
まっすぐ観るを体感したい人にもおススメかも。