過去の情報は『混ぜるな危険』だなぁ…と思う件
長らく同じ業界にいるとわかりきっている話でも
それが誰にでも簡単にわかるか?といえば、そうとは限らない
一度わかってしまうと忘れがちだけど
過去に色々わかりにくかったコトもそりゃあった
人間誰にでも得手不得手がある
故に世の中の仕事とか役割が意味を成すわけだから、皆同じ様に出来る必要もない
とはいえ、だ
時としてなんとか理解しないといけない時もあり
仕事がらその説明を求められる時もよくある
そんな時によく思うのだ『混ぜるな危険』だと
バームクーヘンみたいに層に出来てればまだしも
合理的に考えようとすると、真面目なタイプほど過去の自分の中の情報を持ち込んで、関連付けて理解しようというのをやりがちだ…
そう確か…あれがこうだったから、とかね
でも自分が過去に持ち得た情報が、新たな理解に有益とは限らない
あれこうだったから、これも…え?違うの?
そんな具合に考えれば考えるほどかえって情報が混乱してしまって
結果として遠回りをしがちになる
一生懸命合理的に考えて迅速に理解したい欲求ゆえに、落とし穴にハマるが如くになる
そんな時は一旦今持ってる情報を持ち出さない…という切り分けが必要なので、そうお伝えするのも時に私の役割でもあるだろう
シンプルにそのまま覚えた方が早いし
全然知らない人の方が混ぜる知識がない分早い
なんてことは結構あるのだ
そんな様子を見ていてふと思う
普段モノを考える時だって一緒だよな…と
過去の情報からこの課題をクリアしたいと
前こうだったから、これで上手く行った、これで失敗した…等々色々ある
熟練とか技術的なコトは経験がないと磨かれない類のコトも多々あろうが、じゃ過去の経験が全て活きるというと…そうとは限らないと思うのだ
コレが固定観念という分厚いフィルターになって課題のクリアを阻むとかホンマにあるあるだし
ごくごくシンプルに考えれば
迷わずスッと選択できても
過去の情報経験を引っ張り出しては、アレコレシノゴノ考え、悩んみ、苦しんで、疲れて、自己否定したり、自暴自棄になったり、他人や環境のせいにしたりと色々こねくり回して、ドラマチックで膨大なストーリー超大作を生む
結果『もぉわかんない』か『無理できない』からの『どうせ自分なんか…』なんてところに落ち着きがちだ
まぁ自分も散々やってきたし…ほとほと懲りたから最近は随分しなくなったという自覚はある
コレばかりは本人の自由だから
それも別に良い懲りる日が来たらやめるもの
※懲りなきゃやめないがそれもアリだ
でも…なぜそうなるのか?っていうと、結局過去の情報で判断しようと頑張りすぎるからだろう
だって過去の情報は自分の歴史…自分の記憶や経験は無条件に信用して疑わないもの
まぁまぁ思い込みってのも一定量あるし
疑って壊したくない記憶もきっとあるだろうし
だから易々と手放せなどと言われてもね…不安だし難しいことのようだ
だから手放さずとも側に置いといて、過去の記憶を『混ぜるな危険』って思いつつ、今ここに在る自分はどうする?とシンプルに考えたら
案外クリアになるコトもあるのかもしれないな
と思うんだよね…知らんけど
あなかしこ〜あなかしこ〜
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