イイだのワルイだのって…どちらかが本当に悪いのか?
この仕事をしていると矢印が相手向きの話がやたらと多い、だからアイツをなんとかしたいと
まぁ状況をまずは聴いて、話し手が何を望んでいるのかニーズを探りなら、矢印が向いてる相手にどんなニーズがあるのかに想いを馳せる
大抵…普通は常識ではこうだろ!などと表面上の行動にイラッとして問題視しているだけの話なのだから
まぁ…そう捉える視点に一つの問題だと感じる原因の発端があるとも言えるだろう
話を肯定した同意を得たいと話をされるが
気持ちはわかるが、自分が一喜一憂巻き込まれて片方に肩入れしたら泥試合になる…んで無駄に疲れるので
否定も肯定もしない
正義感が強いと余計だが、幸い私は腹黒いし
特に正義感など持ち得ていない
どっちが良くてどっちが悪いなど
遠山の金さんか、大岡越前にでも任せれば良い
※古すぎるね
もっといえば、どっちも悪くないともいえるし
どっちも悪いともいえるだろう…が
そもそもこの話はイイワルイ決めて、誰かに改善させるということをしたがるが、本来良い悪いの話ではなかろうと、個人的には思う
ただお互いのニーズが、自分の事実への解釈というイロメガネをかけてるから受け取れていないだけの話だろう
まぁ…その解釈が自分を守ってきた固定観念なのだから、それはそれで大切なので感謝はしても無碍にしてはならないとは思いつつ
でも…問題の原因は自分の中にあるのだ
そんなものは誰も見たくも認めなたくないけどね
自分の思う『正しい自分』でいられないことなど受け入れられない…誰もがそんなことでは自分には価値がない…なんて思ってたりしてるわけで
そうやって自分にも正しい正しくないをやってるんだから、自分に原因があるなんて認められるわけもない
どっちが良いだの悪いだの、問題があるだの…その思考がそもそも意味がないなと常々感じる
両者悪いところがあるから、お互い理解してーわかりあって…などの綺麗事で我慢して許容したって、我慢なのだからたまれば噴出するだけだ
それで根本的な信頼関係なんて生まれるとも思えない
わかりあうとはどういうことか?
お互いの違いを認めることだとは思うが
自分を認められない人に他人様を認められるわけはない
と言っても自分のニーズに触れるのすら、なかなか難しいのだけどね
まずは、他人のことより自分だね
自分が自分と綺麗事なしでありのまま分かり合えないで、誰かと誰かを分かり合わせようなんて至難の業でしょうよ…知らんけどね
あなかしこ〜あなかしこ〜
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