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ちょっと素敵な琴…楽譜がないからいいのかも

世の中大概のところに『正解』というモノがあるようだ…多分

そして『正解』は美しくカッコいいと思っていたりする

私もよく、コレおかしくない?間違ってない?とか、下手だしカッコ悪いよね?とか…

自分がその『正解』に反していないかを、いつも考えていた…そしてその『正解』を信じて疑うコトがなかった

そんないつどこで誰か作った『正解』なのかもかわからないのに、それを常識と括るし、そう教えられ疑問にも思う発想すらなかった

でも幸い『そんなコトどうでもよくね?』って
思えるようになったので、最近は随分減ったけど

※こう書くと秩序が礼儀がどーでも良いのか?って言われそうだが、そういうモノは相手を思いやる優しさからできたモノ…それを大切にする気持ちはどーでも良くない

ただ他人様にそう言われても、そんなこと気にしなくて大丈夫だという体感を実感できる機会はあんまりない気がするのだ

でもさ…先日ちょっと素敵な琴と出逢わせてもらったのだ

キレイな音を出すコツは多少試しつつも、何の楽譜もないまま弦をつまびく、それを2人でやってると

2度と同じモノを聴くことはできないだろうけど、響き合う美しいメロディになっていた

それって全部正解だ

そして2人違うから出来上がる音の響きには

その存在をそのまま感じられる
2人違うからこその安心感だとか

また常に唯一無二の今があった

そういうのって、上手く言えないが
心や身体、そして空間に響くようだし
当然横で聴いてただけの私にも響いていた

自然の音の中で奏でれば
自然の一部のようにも感じられる響きになる

鳳来寺山の麓…川の音が心地よい風景

そういうの体感できるのってさ…幸せだよね

同じ曲を演奏できるようにある楽譜は、楽譜で意味がある※あっても私にゃできる技術はないケドね

でもその楽譜という正解がなくても
より豊かな世界ってのは感じ得るモノなのね

なんて思える
そこにあるのは何なのか?

少なくとももっと大きく優しく柔らかく…でももっとスッキリと、デイダラボッチの世界なのかもしれないなぁ

あなかしこ〜あなかしこ〜

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