私が良いカッコしぃをやめた理由
目の前にスゴイご馳走が並んでいて
自分はもうお腹いっぱい食べて大満足だ
残ったご馳走は残れば廃棄される運命
だったら…気前よく誰にでもシェアすることができるだろう
だって自分はこれ以上食べられないのだから
でも丸2日食べ損なって腹ペコの自分の目の前にある一杯のラーメンだったら、まずは自分のお腹をコレで満たしたいというのが本音だろう
そういうのは生存本能かもしれないし、こんな時は武士は食わねど…なんてわけにはいかないだろう
我慢して自分より空腹の人に譲るみたいなコトをする必要などない!という話ではない
我が子が空腹ならきっと子どもの腹を優先して満たすだろうが…自分がそれを他人様に仏様のような無条件の慈悲をもって分け与えることが出来るか?って話だ
それは自分自身だって同じだろう
自分が満たされていない状態で
相手をどうやって満たせるんだろうと思うのだ
相手を満たせば私が満たされるはずだから
やってるのに
相手が満たされないだなんて
どーゆーことっ( *`ω´)
こんなに私の身を削って尽くしてるのに…何いっちゃってるの?はぁ??( *`ω´)
なんてね
それは相手のためって言いながら
自分の満足のためじゃねーか…などと思うのだ
電車の中で高齢者に席を譲る
譲った高齢者が座らない
人の親切を受け取らないと言っては不快になる
私も疲れてるなかで代わってあげてるのに…
じゃ、なぜ代わったの?
だって…人に親切にしなさいと教育されたし、困ってる人がいたら助けるようにって…だから席を譲るってそんなの常識でしょ?それに非常識と思われるの私イヤだもの
でもその状態で席を譲ずるのは果たして自分の良心からなことと言えるのか?※陽明学でいうところの良知から起こった行動なのか?
違うんじゃね?と思う
今日は疲れてできないなーって時もある
今日は心から譲れるわーって時も
ある
でもそれでよくね?と思うから
だから良いカッコしぃはやめたのだ
譲ろうとして心を曇らせることがあるとすれば
それは親切の本質なではないだろう
では何が一番必要かってさ
自分をの内面をいかに満たすか…じゃない?
※酒池肉林的我利我利欲望を満たすって話ではない
でもまず、なぜ自分が内面が満たせない状態になってるのかってのを知ることからだろうな
まぁね、内面を満たせってさ…例えば自己肯定感を上げてーとか、それで上がってたらみんな苦労はしていない
それにしても、なぜ世の中こんなにも内面が満たされない状態なのだろうか…だから何かと我利我利してるのかもしれないなぁ
まぁそんな話はまた別の機会に
あなかしこ〜あなかしこ〜
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