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近道をしようとする方が遠回りになる件
自分とは?だとか
生きるとか?だとか
幸せとは?だとか
人生のどうして?なぜなぜ?って
その類の疑問は答えがあるようでないので
探究すればキリもないが
結局行き着くところは
数多ある方法ではなく内省なんだろう
自分を知れば、知った分相手を知ることができ
自分を許せば、許せた分相手を許せる
結局内面が投影される写鏡の世界なので
※と、少なくとも私は体感している
自分にできないことは
他人様にできようはずもない
カタチだけならできたとしても…だ
なので、内省をすることは重要とはいえだ…
こんなことになるのはオマエのせいだとか
〇〇に××されたからだとか…の世界は
原因を他人のせいにできるので、楽と言えば楽だ
永遠に解決しないとしても
自分の中の認めたくない見たくないものを見なくて済むから
どの世界で生きるかは個人の自由だから、それはそれで…ではあるが
じゃあ内省しよう!となると、またそれはそれでなかなか胆力がいるなぁ…とも思うのだ
隠しておけた自分の中の認めたくない観たくないものを、観るのはなかなかの苦行だし
観たくない自分がたちはだかりできた壁は他人よりも手強いもの、自分からの相当な抵抗もあるなぁ…と思うしね
オマケに…釈尊でもない限り、パーンとこの瞬間悟りが開けました!みたいなことは凡人にできるとこでもないとすれば
結局内省は今世この身体を離れるまで続くわけで、一朝一夕で完成をみるモノでもない
で、その手の学びを色々と学ぶわけだが…たくさん学んだ後、今度はその学びが邪魔になり、それを手放せないと行けない所がある
そう、次元の違うところに
行きたいところ答えはあるのだろう…ね
そこに行くためには、一足飛びでは行けない
まぁ…天才は知らんけど
だから遠回りも必要だし
遠回りすることが実は近道になるよなぁ
とも思うのだ
近道しようとする方が遠回り…なんてこともね
よって
焦っても、仕方ないし
色々持っていても、仕方ないし
ましてや、他人にああすべき、こうすべきなんて、自分が整ってない状態で言えやしない…まぁ言うことに意味もないケド
しのごのあれこれ、情熱も志も、それっぽい動機を並べても、結局はお荷物になって意味はないし
それも含めて手ぶらでないと行けないのよ
きっと知りたい答えのある所にはね
かくいうアタクシは、といえば
永遠の内省の中の住人ですが何か?笑笑
あなかしこ〜あなかしこ〜