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『自分は腹黒い』から始めたい

何らか活躍しているひとを『輝いている』と表現すしたりするけれど

その人がどう輝いているか?
なんてことには正直あまり興味がない

スゴイことをしてるとか、注目を浴びているとか、評価されているとか、キラキラしてるとか…色々あろうが大差はない

その人がどうシンプルであるか?
純粋な欲でやってるか?自分に素直か?の方に
感動もするし、興味もある

表面的な輝きの裏に作為的な戦略とか欲とかエゴを感じた途端に色褪せ興味も消え失せる

そういう所には同じ欲を刺激された人が集ってたりするから余計

それに…輝きを妬む人も集うよね

ハナからそれを感じるモノは最初からだが

いずれにせよそんな時は、必要なオトナの対応をしながらフェイドアウトしてしまう

何故そんなことになるのかというと

シンプルで純粋な輝きと
作為的なことで輝くのとは輝きがちがうから

後者の輝きには違和感があるからだろう

何か混じってるなぁ…って感じるセンサーが
どうもついているようなので仕方ないが

いやでもさぁ…息を吸うような自然さを感じる言動にはホンマに心は動かされるものだ…私だけかもしれないけどね

動機善なりや、私心なかりしか

と言った人がおられたが…この『私心なかりしか』ってのを内省するのが実は結構な至難の業だとは思うのだ

『わたしは人のために!』のフィルターで目隠しされた私心って…見えるとイタイし、見えずらいからね

それなら私心ありまーす!の方がよっぽど好感度は高い

だってあるんだもの、それでイイじゃん
だけど人のためにやりたいのー!って言ってる方が、よっぽど素敵だなと思うのだ

多分大義名分に変に私心を隠してるから違和感あるんだろうから、だったら自分に正直な方が心は動く

①ホンマに私心がない

②私心ありますーというのをちゃんと認識して、人のためになんかやってる

③私には私心などこれっぽっちもありません!の裏に私心を知らずに潜伏させている

多分①はムズイだろうから②が大事なんだろうと個人的には思う

私心があることは、イケナイと思いがちだから③みたいなコトをやっちゃうんだろうな

と、充分腹黒い私は思う…黒くてイイじゃん、黒いと知りつつ白でありたいと言動してればさ

あなかしこ〜あなかしこ〜

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