「君が好きだ」と、あの日伝えたかった。 けれど僕は、その機会を永遠に失った。 君が待つ夏祭りの海岸へ。 突然の雨に、路面は濡れて。 僕は馬鹿だよね。 君は、自分が雨女だと思っているね。 大学受験の日、合格発表の日、 ハタチになった日、 僕の次に好きな人が出来た日。 プロポーズされた日。 雨を見て、泣くのはもうやめにしよう。 きっと、これが最後だ。 僕は通り雨だ。 君を通り過ぎる雨雲だ。 言えなかった、好きを言い続けるよ。 君が、雨の中で微笑むまで。
感想とは、自分がどう感じたか、好き、嫌いを相手に伝える事だが、相手の気持ちにも配慮したものであるべきだ。 我々は、そういう事を請け負う部である。 A夫さんからの依頼です。 C子さんとの夜の生活に自信は持っているが、今まで一度もC子さんから感想を聞いた事がありません。率直な意見を聞きたい。よろしくお願いします。 C子さんへの聴取を元に作り上げた感想文がこちらであります。我々の仕事です。お納めください。 「A夫さんは生まれ持ったものではなく、努力次第で身につく技術が重要と
「のおと」は、私の名前だ。 キラキラネームでもない、ひらがなの、なぜこの名前にしたのかも推察出来ない名前。 それをこの程、自分が設立した会社の名前にした。両親は、私を大学まで進学させてくれたし、留学もする事が出来た。感謝しきれないくらいだ。今度は私が稼いで、両親を安心させたい。 そして、私にこの名を授け、私を捨てたもう一組の親に、気づいて欲しい。 私が素晴らしい縁に恵まれた事、大人になった事。この会社を有名にして、どこかで名前を耳にしてくれたら。 「のおと」 なぜ
「縦の棒はどこへ行ったの?」 と、母が笑った。僕が学校の体験学習で、小石原焼のコップに絵付けしたんだ。いつも夢中になっていた将棋の駒と、「王将」って書いたんだけど、まだ将の字はむつかしくて、間違えた。 でも、なかなか渋くていい感じに焼き上がったでしょ? やがて僕に弟が生まれて、やっぱり小学校で小石原焼に行ったんだ。同じ様に、絵付体験をした。そうしたら、弟も将棋の駒を書いたんだ。そしてやっぱり「王将」って書いた。 「兄弟ね」 将の字には縦の棒がなかった。 「まるでこ
明日からはこれで頑張る。
ペンキが好きだ。ペンキがというか……壁やドアのペンキがはがれたところを、上からまた塗って綺麗にする事を繰り返す行為が好きだ。人がよく触れる部分がはがれているのも好きだ。ただただ好きだと言うだけで、今日は終わる。
小さい頃過ごしたお盆は賑やかな行事ではなかった。暗くなると、提灯の列がお寺に向かって伸びて、「まるでホタルがアリみたいに歩いてる」様に見えた。ぼおっとした提灯の灯で、自分達の方が幽霊なんじゃないかと思うくらいだった。 〈博多駅前〉
「嫉妬が過ぎるといけないよ」 「頭から角が生えるんだよ」 「三本生えたらその時は……」 宿泊するホテルまで一緒なの? 疑われて当然じゃない。 一。 あの女が貴方の部屋へ。 それなら、電話を鳴らしてあげる。 二。 「今ひとり?」 そんなはずないでしょ? 三。 そうね、もうすぐ1人になるわ。 あとは生まれたての鬼が1匹。 初めて喰った女の欠片が1つ。
すぐ近くで300円弁当も売ってるのに強気な値段のカレー。いやむしろ、カレーだからこそ強気にした方がいいのかも知れない。普通のカレーはどこでも食べられるのだ。 〈大博通り〉
モニターから、胎動の音が聞こえて来る。 まるで和太鼓を、ドンドコ鳴らしている様だ。 この音を、わたしは聞いたことがあると思った。祖母が危篤だと聞かされた時、実家に向かうまでの間ずっと頭の中に流れていた音だ。 生を受ける時の音と、生が去りゆく時の音が一緒だった。 だから、私達は同じ場所から来て、同じそこに帰るのだと思った。 「さあこの世界で、どれだけ遊んでやろうか」 新しく来たひとは、そう思っている様に見えた。
「スクリュードライバーのはずだけど?」 いつものオレンジ色ではなく、それは透明な液体だった。マスターは何も言わずに奥へ「いないいない」した。そしてごついドライバーが添えられていた。 「これで混ぜろって?」 スクリュードライバーの起源通りに、グラスの中をドライバーでかき混ぜてみた。 おっと。 ひと口飲んだだけで、おねしょで描いた下手な象の記憶、間違って食べた渋柿の味、ビールを浴びたら脱色するなんて知らなかった髪の色。 「マイナスのチョイスが独特なんだけど……」 プ
エヴァみたい
一週間、たくさん座って、たくさん字を書いた。字は、すっかりわたしの字に戻っている。実は、左腕だけあがりきらないけど、あまり支障がないのでよし。本当はもっと運動をしなくちゃだった。でも面倒で、ついゴロゴロしてしまった。今になって運動の必要性を感じている。暗闇バイクやってみたい。
暑い。どうにかなりそう。もう、生きて健康でいればヨシの精神でいるのと、食べれるものを食べればヨシで夏を乗り切る。本当に、人類は滅びるかもしれない。ノストラダムスは予言の年を間違えたのかもしれない。今程、生命の危機を感じて生きた事ない。願わくば、ルネッサンスに出会えますように。
わたしが愛したのは諭吉だった。なのに振り向いてくれなかった。 「所詮は薄っぺらいやつだぜ」 この人は、わたしにまとわりつく男。いつもチャリンチャリン言っている。 「あの人は、あなたとは桁違いだわ。放っておいてよ」 昼も夜も、諭吉を想って泣いた。 泣きすぎて心が乾いた時、あいつがチャリンと自販機でポカリを買ってくれた。心があまりにも重たくなって荷物になると、あいつがチャリンとコインロッカーに預けてくれた。 だからといって、好きになったりしないけど。 「名前だけは聞
なぜそうなったのか分からないが、会社からのメールを確認しようとしたらスーッと右に消えてしまった。探しても見つからない。ビルの名前を覚えていたので検索し辿り着く事が出来たが、本当に、「マジで勘弁してくれよスワイプだかスワップだか知らねえがデジタル音痴舐めんなよ」と、思った。