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療育環境

発達障害に関しては、日本に比較すると海外の方が療育等の支援は充実している。社会としての考え方そのものが違うのだから当然といえば当然だと思う。

近所に住んでいたアスペルガーの子どもは、母親と2人でスウェーデンに2年行ったし、知り合いの高機能自閉症の子どもはやはり母親と2人で1年間アメリカへ渡った。

日本ではできないプログラムを受けて帰ってきた。はず。
親は「よかったよー」と言うが、端から見ていると「そうなんかな?」と思う違和感もあった。

スウェーデンの子は、帰ってきたら「お姉さん」になっていたし、まるで「知らない子」のようだった。普通クラスに編入したが、お友だちとのトラブルは行く前とそんなに変化はなかったそうだ。

自己肯定感は備わったように見えたが、空気が読めないという根本的なところが変わったわけではなかった。印象としては「なんとか溶け込もうとしていた女の子」が「孤高の少女」になったという感じ。

「私は障害児だからトラブルがあってもしょうがない」と自分で言っていたのが、彼女にとっていいことなのか、私にはまだまだわからない。もっと時間が経ってから何らかの結果が出るのかもしれない。

アメリカへいった子は、帰ってきても相変わらず走り回り、コミュニケーションも取れず、時々自傷行為が見られた。こちらは「あんまり変化はなかったのかな?」と周囲には思わせた。

ただ、年齢を重ねていくにつれて多動や自傷行為は減っていったように思う。それが海外療育のおかげなのか、帰国後に関わった人々の努力なのかはわからない。

海外での支援を受けられたことが、全然羨ましくないと言えば嘘になる。

理想としては、国内で同様の支援が受けられることだが、現状ではありえないと思える。社会環境そのものが違うからだ。

療育を受ける国に拠点がある場合、もしくは家族全員で移住できる何かを親が持っている場合を除けば、一定期間サポートを受けたとしても、そのあとはこの国に戻って生きていくことになるだろう。

うちも海外療育を考えないわけではなかった。でも踏み切れなかった。

もともと極端に変化が苦手な彼が、その変化に耐えられるとは思えなかった。また、彼には重度の知的障害があった。それは絶対になくならない。かの2人との違いはそこにあり、圧倒的に伸び代は少ない。

どの国においても、どんな療育を受けたとしても、一般社会での社会人として1人では生きていけず、必ず誰かのサポートを必要とするのが重度の知的障害だ。

周囲に認知してもらうことを考える方が、建設的に思えた。

保育園から小学校にかけては、コミュニケーションをとるために、それこそ海外の手法を導入してくれた先生もあった。さまざまな勉強会に、わざわざ有給をとって行ってくださった先生もいた。

この地域の人たちは、彼を見かけると積極的に挨拶してくれる。事業所を含む地域の福祉にも、ずっと近くにいてもらえたから「知らない子」にならずに済んだ。

毎日公園を散歩がてらゴミ拾いをした。
地域の行事にはなるべく参加してきた。
そういった、彼が地域や学校と関わってきた15年あまりの時間があって、彼は彼であるということが周囲に認知されたのだと思う。

もし、何年も海外に行っていたらこの状況はなかったし、帰国後に地域で一から彼を認めてもらう、支援をプログラムしなおすという過程が必要だった。環境が違いすぎるから、継続的な支援に繋がらない可能性は高い。

アメリカではこんな支援を受けましたとか、スウェーデンではこんな風にコミュニケーションをとっていましたとか言っても、ここは日本で、それが通用しない社会。できる範囲で継続しましょうと言われるのが関の山だ。

彼が亡くなるまで、その地でずっと生活できるなら行ってもよかったかなとはいまだに思う。

だがマイノリティの不利益だとか、家族の生活や生き甲斐、親が亡くなったあと親族もなしに生きていけるのかなど、いろんなことを考えるとメリットは少なく思えた。

療育を受けられる期間、ずっと考えていたし、旦那さんとも何度も話し合った末の結果だ。

この国は表面上だけであったとしても、平和で穏やかだ。そして一応は障害者に対する差別を良しとしない。それは彼にとって大きな魅力だと思える。

当時の私たちが彼のためにできたのは、より良い生活環境を提供しようとしたことだけ。
それまでの特殊な(彼が受け入れられなかった)療育環境を捨てるために引っ越しをし、彼が過ごしやすい家を建て、主治医を変えたくらいだ。

それで良かったのか、より良い療育を求めて数年でも旦那さんと別居して私と彼だけ海外へ渡った方が良かったのか。

そのことに自分の意見が言えるほど、生涯かけても彼は成長できないだろう。彼の一人ぶんの生涯計画を、本人ではなく親が決めていかねばならないというのは、けっこう負担だ。

「あの時にこういうことをやらせてくれてたらよかったのに」などと文句言ってくれる方が気持ちは絶対に楽だと思う。

彼はなにも言わないから、なにもわからない。

親としては、できるだけのことをしてきたと思っている。だが、してきたことが彼の生涯に良い影響を与えたのか、悪い影響を与えたのかさえ私たちにはわからないだろう。

今更ながら、親の責任って大きいなぁと思う。

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