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自閉症の子どもを育てる ⑦
担任が変わる!
うちだけじゃなく、小学生を持つ親は担任が変わることに敏感だと思う。
伸びざかりの時期を「いい先生」にみてもらいたいと思うのは当然のことだ。
3年生から特別支援学級の担任になったのは、40歳くらいのベテラン先生だった。
最初は警戒したが…この先生もほんとに「いい先生」だった。
何も言わなくても、まずは仲良くなりましょうと言ってくれた。
少し驚いたのは、お母さんと飲みに行きたい。仲良くなりたいと言われたことだった。
普通、いい歳をした大人が先生と生徒の母という立場で面と向かって、初対面なのに「飲みに行きましょう」とか「仲良くなりましょう」なんて言わないと思う。
何かある…。
警戒心全開で次の言葉を待っていると、朗らかとしか表現できない笑顔で「その方が楽しい」と言った。
あぁ、いい先生に当たったんだなぁと思った。
私は下戸なので飲みにはいけなかったが、卒業後にランチは何度か行った。やっぱり在学中はまずいよ。先生。
せっかくだからお勉強しましょう
算数はちょっとやりたくないという話をしていると、先生はプリントをすることをすすめた。
かなり抵抗はあったけれど、あちらは教育のプロである。
何かあったときに、早い対処をすればダメージは少なく済むと楽観的に考えていたこともある。
とりあえず、おまかせすることにした。
先生はどうやら絵とか図として算数の足し算引き算を丸暗記させようとしているようだった。
今は形の羅列でいいんです。
いつか認知が進んだときに、私たちが九九を丸暗記したようにスムーズに計算できる手助けになると思うんです。
なるほど。そういう考え方もあるのかと目からウロコだったが、本人はどうなんだろうと不安でもあった。
プリントを2枚用意して1枚にはすでに答えが書いてある。
彼は答えの書いてない方のプリントに数字という記号を写しているだけであった。
そして、あっという間に答えを見なくても正解の数字が書けるようになった。
「かず」の概念はそこにはなく、ひらがなの書き取りと同じく形を模写しているだけ。
概念を捨てて、書いたものをどう読むかだけを教える。
そして彼は数字の読み方を覚えた。
これでいいのか?とずーっと思っていたけれど、15年近くたってようやく「かず」と結び付いたようだ。
昨日もドラえもんの公開まで「あと何日?」と聞くので、
「2ヶ月と6日と6日」と答えると「2ヶ月と12日」と呟いた。6+6ができていた。
ためしに「2ヶ月は30日と31日」というと嬉しそうに「73日!」とも言った。
先生ってスゴいと思った。
彼にとっては難しいしくみを理解することなく「お勉強」は進み、下痢も時々あるがめったに続かず、重度の知的障害が中度になるなど驚きの連続だった3年生。
同級生は、彼に対してまだ「かまってあげたい」とか「面倒みてあげたい」という気持ちを持っていてくれたようで、運動会やその他の行事にも手を引いてもらってそこそこ参加でき、楽しく1年を過ごせたようだった。
承認欲求
4年生になった頃、あれ?と思うことがあった。
先生とか私とか、大人がいるときの方が、同級生の子どもたちが彼に寄ってくるということに気がついたのだ。
男の子の場合はそこにいたら構う。という感じに見えたが、女の子たちは明らかに大人がいるときにベタベタと構う。
これって何でしょう?
先生は気づいていたようで、普段からお姉さんっぽく構いたい子というのはいて、いつも構っているけど、大人がいると普段は彼に構わない子も積極的に構っているという。
あの子たちは、大人に「自分は優しい」ということを認めてもらいたいんですよ。承認欲求ですね。と先生は言った。
なるほど。承認欲求ね。
てかそれってどう影響してくる?
恥ずかしながら、そのときまで「承認欲求」というものを知らなかった。名前はもちろん知っていたけれど普通に育てていたら満たされるものだという変な認識を持っていた。
まさか、一般の児童がそんなことで彼との関わりを持っているなどと考えたこともなかったのだ。
自閉症に関してはけっこうお勉強したつもりだったんですけど。根本的なところで絶対に必要なことを見逃していたのかもしれない。という後悔。
「彼の承認欲求は満たされていると思いますか?」と聞いてみる。
「面と向かって聞かれるのははじめてですから、酷いことを言うかもしれません。」と前置きしてから
「他者承認については大丈夫だと思います。自己承認が厳しそうです。」
なんでそんなことがわかるんだろう。やっぱり経験かなぁ。と単純に尊敬しつつ、「どうしたら自己承認が満たされるようになりますか?」と聞いてみた。
彼の場合は、自分以外の人をよく見ている。
自分以外の人ができることが自分にできないこともわかっている。
それが、劣等感となって少しずつ溜まってきつつある。
学校という箱の中で、他の子どもを見ずに過ごすことは難しく、だからといって他の子との接点をなくすことで、接点があるからこそできる成長を妨げるのもマイナスになるだろう。
というのが、先生の見方だった。
要するに現状維持しかないってことよね。でもどうしよう。家でできることってなんだろう。
かなり衝撃を受けたので、主治医に相談することにした。
劣等感は、他の子どもたちにできることが増えるにしたがって、必ず出てきます。
ある意味きちんと成長していることを喜びましょう。
でも彼は劣等感のカタマリになりつつあるので、おうちではとにかくできることをたくさんさせて、成功体感を積ませてください。とのこと。
やってるんだけど。目一杯。
途方にくれる私の気持ちを察したのか、主治医はひとつの道を開いてくれた。
がんばっている彼へのご褒美として、精神セラピーを受けてみませんか?
え?精神セラピーってなに?
それ、ご褒美になるほどいいことなの?
次から次へと新しいことが出てきてパニック寸前だった。
精神セラピー
精神セラピーというのは、そのクリニックでやっている治療法のひとつで、否定されない環境で臨床心理士の先生と遊ぶ。というものだった。
彼は限界近くがんばっていたし、ご褒美はあった方がいいとも思っていたのでお願いすることにした。
週に1回、定期受診とは別に往復2時間かけてクリニックに通い、1時間の精神セラピーを受けることになる。
親はそのうち最後の15分を同じ部屋で過ごす。
臨床心理士の先生は、ほんとに否定しなかった。というより積極的な関わりを持たなかった。にこにこと見ているのみ。
彼が一緒に遊んでほしいときだけ、彼の指示通りに動く、驚く、一緒に喜ぶ。
人の身長くらいあるガンダムの人形と戦って「やられたー」と転げ回る先生を、上機嫌で笑って見ていたり、一緒に戦って、自分も「おおー」と転げてみたり。
ほんとに楽しそうにしていた。
トミカで町を作るときも、先生はなにも言わない。
にこにこ見ているだけだ。きちんと並べられなくて、困った彼が手を引っ張りに来るのをただ待っている。
もちろん、そこで諦めても何も言わずにこにこ見ている。
親は待ちきれずに「交差点作ろうか」などと誘導したり、違うところに交差点を作ろうとしているのを「こっちがいいよ」と変更させたりしてしまうことが多い。
できないから諦めるというのを、そのまま見ているというのも難しいだろう。
こうやったらできるようになるということが親にはわかっているのだから。
考え方にもよるけれど、自分がやろうとしていたことをさせてもらえない。諦めることを認めてもらえないというのは、親が意識していなくても否定なんだろうなぁと思う。難しいことだなぁと思った。
最後の15分を一緒に遊んで、子どもとの遊び方を教えてもらったように思う。
時々、臨床心理士は私のフォローもしてくれた。
最近は何か楽しいことやってますか?と聞いてくれたり、学校とのつきあい方などのアドバイスをもらったり。
特別支援学校を選ぶときには、どこにどんな子どもがいてどんな生活を営んでいる。という情報もくれたりした。
小学校を卒業し、特別支援学校の中学部1年までそれは続いた。親は肉体的にけっこう疲れたが、有意義だった。
その結果がどうだったのかとか、彼自身が何か得られたのかは正直わからない。
けれども、彼の人生の中で自分を否定されない時間を持てたことは素敵なことだと思う。
親であっても彼を否定することはある。
「そうじゃなくてこうする方がいいよ」とか「諦めずにやってみよう」とか、ひどいときには「こうしなさい!」とか。
「なんでわかってくれへんの?」とか「何回言わせるの?」とか。
親が平静を保てずに「もう知らん!」とか。
否定してしまうと、それは彼の中にずっと残って澱のように溜まっていく。
うっかり言えるレベルのことではないのだけれど、自分ではほんとにうっかりなのだ。
「ママの子どもします」
彼は時々そう言う。
それはたぶん「見捨てないで」と言いたいのだろう。
自分が情けなく悲しくなって泣けてくる。
「大丈夫。あなたはママの大事な子どもだよ。ずーっとママの子どもだからね。」
ごめんね。そんなこと言わせてしまって。
後悔先に立たず。
親の無知ゆえに歪めてしまった我が子は、楽しい人生を歩んでいけるのだろうか。