太陽を目印に
「話を聞かない男、地図が読めない女」という本があり、かつてベストセラーになったことがある。これに関しては、あれこれ思うことがあるけれど、そもそもこの本を読んだことがないのでわからない。
どうやら脳科学とやらで真相を解明しているそうだ。なぜこんな話をしたかというと、わたしは地図が読めない。地図で北の印Nが上になっていると、今ある位置を探すために地図をくるくる回すか、自分がくるくる回る。最近ではGoogleマップの音声ガイダンスという素晴らしいものがあるので、出先で頻繁に(本当に頻繁に)利用するが、それを聞いても目的地を通り過ぎてしまう。カーナビすらも地図と声が一致せず(つまり頭の中で繋がらず)理解できないことを幾度も経験している。
わたしの記憶に残っている限りで一番最初に道に迷ったのは小学校の低学年の時だった。わたしの家は、当時その町の「銀座通り」に建っており、食料品から日用品に至るまでその通りにある商店ですべて購入することができた。保育園も小学校も中学校も徒歩5分圏内になる。ふざけていると思うかもしれないけれど、この町の中では「町中の子」だったのだ。だからその通りから外れると、全く知らない土地に来てしまったかのように思え、極力出ないようにしていた。
小学校の低学年の時、同級生たちと遊びながら、遊びに夢中でその境界線を越えてしまったことがある。小学校の先は一面にキャベツ畑が広がっており、舗装されていない細い砂利道が伸びていて、その先かなり遠くに瓦屋根の民家が点在していた。一応小学校の位置を頭に入れ、同級生の後をついて行った。ふと気が付くと、背後にあったはずの小学校の建物は視界から消え、一層細くなった道は、同じような農家ばかり建て込んでいる景色に変わっていた。かつての農家は、まず物置のような建物をくぐると洗濯物を干す庭があり、その先に母屋があるというものばかりで、これといった特徴が
ない。時折大豪邸(ただただ大きい家)らしき建物が見えるがそれも目印にもならない。前を歩く同級生はこの辺りに家がある子たちばかりなので、ちゃちゃっと走っていく。車、それも軽トラックが1台ようやく通れるような細い道は曲がりくねっており、先に何があるのか皆目わからなかった。
気が付くと、いつも一緒に遊んでいた近所の子の姿は消えており、当時の自分の頭の中で「学校から遠くに住んでいる子」ばかりになっていた。わたしは急に不安になり、
「そろそろ帰る」
と言ってみた。すると同級生は
「本当?ほいじゃあね!」
と軽く答え、さらに先を進んでいく。たった一人になったわたしは、来た道を帰り始めた。自分の頭の中ではずっとまっすぐ歩いてきたから、その道を戻れば、目印の小学校が見えるはずだった。まっすぐと言ってもくねくね道である。さらに細い分かれ道がいくつもあることに気づいた。来た時は前しか見ていなかったので気にも留めなかったが、実はたくさんの農道が存在していたのだ。それもどれも同じような家の脇にある真ん中に草が生えた舗装されていない道ばかりである。幼い頭でも気づく。「これ完全に迷ってしまった」。通り過ぎていく農家の人たちの顔を見ても誰一人見覚えはない。そもそも麦わら帽子を被ったり手ぬぐいを頭にかけているから知っている顔だったとしても判別できなかったのだと思う。見えるはずの小学校はいくら歩いても現れない。そのうちに太陽が傾いて少し薄暗くなってきたように感じる。ああ、もうわたしは自分の家に一生たどり着けないのだ、と思うと急に涙が出てきた。確か畑の中の道の真ん中でシクシク泣いていたと思う。すると高学年の女子が数人やって来て
「あれ?〇子ちゃんの妹だら?なんでこんなとこにおるの?」
と声を掛けてくれる。
「家がわからん」
涙をこぼしながら必死で絞り出した言葉に、彼女たちは笑うこともなく
「迷っただね。こっちにおいでん」
と答えてくれる。ああ、なんて優しいお姉さんたちだろう。家でおそらくわたしの帰りなど待っていない怖い姉たちとは大違いだ、などということは毛頭考えていない。今はこの優しいお姉さんたちの道案内に従って進むしかないと思って、必死で後をついて行った。
「ほら、小学校が見えてきたら?」
「うん」
「ほいじゃあ、もう平気だね」
「うん」
「バイバイ」
「...バイバイ」
お礼すら言うこともなく、わたしは学校に向かって早歩きをし始めた。時々目の周りの涙を手のひらでこすって、家に着いた時には、泣いていたことなど誰にも分らないようにすることは忘れなかった。泣き顔で帰ると姉たちにまたどんなふうにからかわれるかわからないのだ。
大人になってからも道に迷うことを何度経験したかわからない。方向音痴でない人の説では「太陽を見れば方角がわかる」らしい。しかし太陽は東から上って西に沈むので、いつも同じ位置にあるわけではない。だって地球は回っているんだから(フォーリーブス懐かしい。ター坊も公ちゃんももういないんだ)。そこを西に曲がって、という言い方はやめてほしい。そこの角にあるセブンイレブンを左に(もしくは右に)曲がって、という固有名詞を使って説明してほしい。そうすると方向音痴でない人は、「どちらから見て左(右)なんだ?」と言う。「歩いてきた方向から見て右か左かよ」と答えると「どこから歩いてきた場合だ?」と言われる。はいはい、わかりました。わたしの頭の中には方位磁石はないんです。だから今どの方角に向かって歩いているかなどわからないし、行った道を帰る時も同じ道順で帰る自信ありません。
(写真はイメージです。これは乗り間違えません)
しかし最近方向音痴というのは電車の乗り継ぎ音痴であることにも気づいた。所用があって伊丹空港まで電車で行かなければならなかったのだが、家からだと阪急今津線の宝塚で一旦電車を降り、その後阪急宝塚線に乗り替え、蛍池で下車して大阪モノレールに乗る必要がある。これは何度もやっていることなので余裕で阪急宝塚駅で下車し、そのままJR乗り場に向かった。(ここで大きな間違いをしている)少し歩いてJR宝塚駅に入り、JR宝塚線に乗り込む。わたしの頭の中では、川西池田の次辺りに「蛍池」が出てくるはずだった。(出てくるはずがない)しかし一向にその駅名はアナウンスされず、「次は尼崎~」と言うではないか。
そこでようやく気付いた。阪急宝塚駅の同じホームの宝塚線に乗ればいいだけのことだった。それなのに、わざわざ改札を出てJR宝塚駅まで向かい、JRに乗り込んで大阪方面に向かっている。尼崎で列車を降りると猛ダッシュでタクシー乗り場に向かい、用事の時間に間に合わせるようにドライバーさんに必死で訴えたが
「あ~、ちょっと遠いねえ。間に合わないかも」
などと半笑いで言われた。道に迷った時と電車の乗り間違いは、大人になっても涙が出そうになると実感した。
方向音痴というのは持って生まれた才能?で遺伝もあるのではないかと思っている。それは実母が
「わたし日本地図って大好き。それを見ていると旅行した気分になるじゃん」
と言いながら、九州をさして
「お父さん、今度中尊寺に行ってみたいやあ」
とねだったら、父が笑いながら
「お母さん、中尊寺は九州にないに。東北だよ」
と答えた姿を見ていたからだ。あれは今の自分を見ているような気がしている。母は「学校では九州にあると習った」と言って譲らなかったが。
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