看取るということ。
今までの人生の中で何十人の人を看取ってきただろう。
ふとそんなことを考える日がある。
今でも忘れないのは初めて患者さんを看取った時に先輩に言われた言葉。
「この人は最後にあなたを選んだんだよ。最後をあなたに見届けてほしい。そう思ってくれたんだから。泣かずに胸を張りなさい。」
泣いてばかりで何もできなかった20歳の私にそう言ってくれた。
それでも、この時最後の処置をしながら「ごめんなさい。」しか言えなかった。初めてのことばっかりだった不安と、もっと何かできることがあったんじゃないか・私がサインを見逃したんじゃないかと自分を責める気持ちが強くて、ただただ申し訳ない気持ちでいっぱいだった。
月日は流れてそれなりに仕事ができるようになり、そんな風に思うこともなくなった。
良い意味でも悪い意味でも慣れてきていた自分がいた。
決していいかげんな意味ではない。
きちんと向き合えるようになったのだ。
その時の自分に看護師として求められているだろうことは出来るようになり、患者さんに対してもその人生へ尊敬の意をもてるような年齢にもなった。
泣きそうになる時にも、そこを堪え「今までよく頑張ったね。お疲れさまでした。」と心から言えるようになった。
それも全てあの時の先輩の言葉があったからだ。
この人は私を選んでくれたんだ。
だったら、私が出来る事。
私でよかったと思ってくれるように最後まで自信をもって胸を張って看る。
そして、泣かずに笑顔で。
最後にこの人がみえるものが笑顔であるように。
例え、目で見ることはできなくても見えているような気がするから。
きっと泣いていることも伝わっているだろうから。
そう向き合えるようになったのだ。
そういいながら、今でも一つ心に引っかかって残っていることがある。
ある患者さんとの事。
私は透析病院で働いていたことがあった。
その患者さんとは約9年の付き合いだった。
透析歴も長く、難聴のあるおじいちゃんだった。
お年寄りによくある頑固さと、くしゃっとなる笑顔が本当にかわいい人だった。
その人は結構わがままで、よく看護師を困らせる人だったが私は嫌いじゃなかった。話を聞くと、その人にはその人なりのこだわりがあって、私にはそれが面白かった。
だからか、私のことが好きだったというか信頼していてくれていた。(自分で言うのも恥ずかしいがそう思っているww)
その人と話をしていた時に言われたことがある。
「みんな最初は優しくするけど慣れるとだんだんひどくなる。でも、あんたはずっと変わらん。ずっと優しいね。今までありがとね。」
これは夜勤中にラウンドをしていた時に、彼が「明日死ぬと思う」と言い出し言われた言葉だ。
ちなみに、そこから1時間以上ほかの看護師や病院の文句を聞くはめになるのだが、今では二人だけの内緒話だ。(おかげで休憩時間がとれなくなったのだがww)
そこから何か思い通りにいかないと私を呼ぶようになっていた。
私が休みなら、出勤したときに話があるからと伝えてとほかの人に頼むようになっていた。
大抵の話が自分のやりたいことを認めてもらえない。といった内容で。
ビールが飲みたいとか。
明日は透析をしないとか。
入院中なのに旅行に行ってくるとか。
それでも、私もダメなものはダメと言っていた。
理由を何回も説明しては、気持ちはわかるけどねと冗談を言ったり。
「あんたに言ってもダメならダメやね。」とよく笑っていた。
そんな日が2年以上過ぎて、徐々に容態も悪くなっていき話もできない状態になった。
もう数日中だろうとなったとき。
私は、なんとなく私が看取るだろうと思っていた。
きっと私を選んでくれるだろう。と。
しかし、私の気持ちとは裏腹に私が休みの日に亡くなったのだ。
これが私には何だかショックだったのだ。
何だか思い上がるなよって言われたようで。
わかったようなふりするなよって。
お前にはまだ早いって言われているようで。
少し宙ぶらりんになった気持ち。
今でも心に引っかかっている。
最後に「よく頑張ったね。」って言ってあげたかった。
最後に「ありがとう。」って言いたかったな。