ASDの人だから大切にしているのではなく大切な人がたまたまASDだっただけという話
ASDに限らず、パートナーや子どもに発達障がいがあるってわかった場合。
あなたならどうしますか?
私は、旦那と子どもにASDの特性があるとわかってから、とにかくめちゃくちゃ勉強しました。
「ASD」っていう言葉自体が初耳だったし、発達障がいについても、いまいちよくわかっていませんでした。
さまざまなネット記事を読んだり、いろんな本を読んだり、当事者の方が運営しているYoutubeを見たり。
少し紹介しますね
【Youtube】
【書籍】
※アフィリリンクではありません。
まだ他にもありますが、特に「アスペルガー症候群との上手なつきあい方 -パートナーを理解してつながる-」はとても良かったです。
私は全部図書館で借りて読んだよ。
勉強して知識が増えることによって、私の中で少し変化がありました。
あまり、良くない変化です。
今回は、その「変化」について書いていきます!
メサイアコンプレックス
発達障がいについての知識が増えると、普段の生活で「あ~なんかこの人苦手だな」っていう人に対して、もしかしたらこの人もなにか持っているのかもな?って感じるようになりました。
これはあくまでも私の勝手な見解にすぎず、失礼なことだというのは重々承知です。
人との距離感を見誤る人とか、失礼なことを平気で言っちゃう人とか、ASDやADHDの特性があてはまっていたりして。
いろいろ知ったことによって、誰に対しても「理解してあげなければ」「助けてあげなければ」という感情が働くようになったんです。
そんなもん大きなお世話ですし、助けを求められたら助ければ良いだけの話ですよね。わかってます。
メサイアコンプレックスに陥ってしまうと、救世主(メシア)願望によって、こんなことをしてしまうらしいです。
世話を焼きすぎる
頻繁にプレゼントをする
無理な要求をされても断ることができない
感謝のことばを催促する
良かれと思って先回りの行動をする
つい口をはさんでしまう
理不尽な環境でも身を犠牲にして貢献する
こちらのページで、とても分かりやすく解説してくれていました。
メサイアコンプレックスは、介護や看護など人を助ける仕事に就いている人が抱えやすいそうです。
発達障がい児がいると、先回りしなければいけないことも多く、とはいえ、これを赤の他人にまでやってしまうのは問題ですよね。
私は、この「メサイアコンプレックス」というものがあると知り、踏みとどまって、不必要に他人と関わるのを辞めました。
あくまでも、「自分の生活は自分のもの」だとしっかり考えるよう、心がけています。
会いたい人に会い、会いたくない人には会わない。
助けを求められたら助けたら良いし、(冷たいですが)助けたくなかったら助けなければ良い。
そう考えることにしました。
好きだから理解できるのであって、理解したから好きになるのではない
私は、旦那と出会ったときから、彼をとても尊敬しています。
感情に波がなく、常に冷静な判断ができる。
長年、自分の技術で収入を得ており、仕事の愚痴もほとんど言わない。
家族のことを1番に考え、守ってくれる。
でも、あまりにも口数が少ないことや、共感をしてくれないことで、日に日に不安が募っていました。
彼がASDだと分かったときは、「あーなるほど!」という感じで、ほっとしました。
そして、彼を理解するために、発達障がいについて勉強し始めました。
私は、旦那という人が好きなので、理解したいと思えたんです。
この順番を間違えてはいけないと気付きました。
ちょっと苦手な人だけど、その人を理解すれば、苦手じゃなくなるかもしれない。
というのは、順番が逆です。
苦手な人はこれまでどおり苦手!極力関わらない!と決めたら、少し気持ちが楽になりました。
他人だけでなく旦那に対しても、彼の負担を減らさねば!など考えてしまい、いろいろ先回りしてしまったことも。
でも、これまでもこれからも旦那は旦那で、自分のことは自分でできるんですよね。
旦那に関しては、助けを求めてくれたとき、助けることにします。
そもそも私は昔からおせっかいおばさんなのに、超絶ウルトラおせっかいおばさんになるところだった。あぶね
もっと自分本位でいようと思います
子どもに対しては特に、助けてあげなければいけないことも多いのが現状。
私は、子育て以外の面でも、自分を犠牲にしてしまっていました。
診断がついたとか、特性がわかったとか、だからといって現状は変わらないし、これからも同じ日常が続いていきます。
私は家族が大切なので、なにがあろうと、これからも家族を全力で支えていきたいです。
でも、自分の気持ちを殺したり、自分を犠牲にしたりする必要はないと思っています。
これまでどおり大切な人を大切にして、会いたい人に会って、行きたいところに行って、食べたいものを食べて。
私の暮らしなので、私が舵をとっていかねばならんな、と思います。