マユゲ
35も過ぎて女が1人、ドイツの田舎街に引っ越すとどうなるか。という、哀しくもおかしい私のドキュメンタリー(追記:noteにお引っ越ししようと思ったのですが、永遠続く、コピペに耐えきれず笑、全部読みたい人はこちらへ、飛んでください→https://mayu-mayuge.jimdofree.com ドイツ、現地企業で日本人一人、ポツンっ。サラリーマンなのに、毎日が珍道中(2009年から2011年のお話) 。
序章:発酵野菜とは 発酵野菜の作り方の動画は最後に貼ってあります (追記:2020/11/13:作り方の動画再アップしました(記事最後)。なんと、2ヶ月間youtube,に載せてたものは、音声入っていなかった!) 犬は肉食だから野菜は要らない。と言われていましたが、実は肉食動物というのは、草食動物を仕留めたら、胃袋から食べます。その胃袋に入っているものは、発酵した野菜や草…。ということは、肉食動物も野菜を食べている!ということになります(栄養学というものは、犬も人間も、新た
**** 無資格バンザイ **** 結果が来ないなー。と。 やきもきする事、数日。 来たー!メールが…。 "job offer" 君が私たちのチームに入るのを楽しみにしている。 おおーっ。 決まってしまった! 受かってしまった! 面接はカンニングペーパーをチラ見だし。 職歴もフリーカメラマン(←自称)とかあり、怪しげ。 履歴書の語学力は。 英語: 上級 (←全く上級ではない…) ドイツ語: 中の下 TOEIC: xxx点とか資格を全く何も持ってないので。 勝手に自己
ドイツとskypeでの面接第2弾。 テンパる日々は続き、本番到来。 朝6時。ムクッと起き上がると。 昨日書いたあんちょこ↓ With my knowledge and experience, I believe that I can ..... を思い出しながら、声を出して復唱! 「ウィズ マイ ノウレッジ エンド エクスペリエンス, ....」 えーっと。なんだっけ? といった感じで。一日中ブツブツ。 昼も食わず、狭い家を無用にウロウロすること10時間。 skypeの接続
****面接到来 **** ドイツの会社から履歴書(CV)を送れと言われて以来。 1週間、一人で勝手に大騒ぎ。 はて。英語のCVって…。というわけで。 またまた大騒ぎすること数日。 見よう見まねでなんとなく完成し送付した。 最後に。質問があれば何なりと email か telephoneで。 と書いたのだが…。 実は。うちの電話というのは。 番号ディスプレイとか留守電とか。 そういう機能がなーんも備わっていない電話なのである。 プラス。あんまり聞こえない(←既に電話でな
**** 勝手に葛藤 **** 会社に行かなくなって2週間。 とりあえず仕事もなさそうだし…。 毎日ギターの練習だー。いいのかー! と不安ながらもウキウキしていたのだが…。 軽い気持ちで声かけていた会社から返事がきてしまった。 履歴書を送れと…。 しかーし。 その会社というのはドイツの会社。 ドイツで働くわけだ。 ウー…。 5年前だったらなあ。迷わず行くのだが。 ウー…。あの過酷な生活がまた始まるのかー。 というのも。 私は過去、鞄一つで勝手にドイツに引越したのだが。
**** 金融危機の舞台裏 **** 安定した収入と暮らしが訪れると。 このままでよいのかー。 立ち上がれー!と 仕事を辞め、わざわざ不安定な道を選んでいた20代。 最終的には日本も飛び出し。 超不安定な生活をすること4年。 その間、3カ国4都市で暮らし、引越すること12回。 精魂尽き果てて日本に戻ったのが31歳だった。 そんな流浪の民にも救う神あり(<--物好き)。 とある企業に拾われ、契約で働くことになった。 それから4年半、現在に至まで。 ヌクヌクと暮した。 いつも
本編の前にまめ知識 私が就職したのは、 ドイツ北部のリューベックというところである。 世界遺産にも指定されている中世の面影のある小さな街。 人口 約21万人。 といっても、規模が想像つかないと思うのでちょっと例を上げると…。 仙台市 100万人、北海道釧路市18万人、東京都目黒区 27万人。 ま。釧路と同じか。 ちなみに東京都は1300万人。 (人口統計、2011年現在) そして、北緯53度。これも想像つかないが。 樺太を通り越し、カムチャッカ半島まで上り、 サハリンをち
さて。失業から一転、ドタバタ劇を経て(序章1 :失業ブルース) ドイツの現地企業に雇われてしまった。さあ。大変だ。引越しだ。 海を超える引越しってどうすんかいなー。家ってどうすんかいなー。 荷物送るにも自分が海の向こうにいないから送れないよー。 * * * * * * * 契約によると。一ヶ月後には勤務開始。 しかーし。 会社で用意されている家なんていうのはないので。 家がない…。 遡ること5年前、海外プータロ時代のドイツ。 飲食店で皿洗っ
本編に入る前に: 日本でクビになってから、 どうやってドイツの現地企業と面接し、 契約までいったのかのお話。 2009年夏 - リーマンショックから1年 **** 金融危機の舞台裏 **** 安定した収入と暮らしが訪れると。 このままでよいのかー。 立ち上がれー!と 仕事を辞め、わざわざ不安定な道を選んでいた20代。 最終的には日本も飛び出し。 超不安定な生活をすること4年。 その間、3カ国4都市で暮らし、引越すること12回。 精魂尽き果てて日本に戻ったのが31歳だった。
小学生のころから外国に憧れていた。 黒柳徹子のザ・ベストテンより。 小林克也のベストヒットU.S.Aの方が輝いて見えた。 ベストテンで捲し立てる黒柳徹子より。 英語を捲し立てる小林克也がまぶしかった。 日本より外国がイケていた。 中学から高校にかけて。 外国のドラマは何でも見た。 ファミリータイズ、フルハウス、 ビバリーヒルズ高校白書、ER。 映画も洋画オンリー。音楽も洋楽。 意味がわからなくたって。 アメリカに生まれていなくったって。 ブルース・スプリングスティーンと一