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私が生み出すもの。

先日、映画「銀河鉄道の父」を見てきました。


宮沢賢治の父親の視点で賢治の人生を描いた
直木賞を受賞した門井慶喜さんの小説が
映画化されたものです。

https://ginga-movie.com/


この映画、
当時の花巻市の街並みに似ていることから、
実は岐阜県恵那市の岩村、明智で撮影されているのですが、

同じ東濃エリア出身の私としては
身近な見知った場所での撮影もうれしくて、
上映されるのを楽しみにしていました^^



映画は大号泣し、
終わった時には顔はすっぴん、
目はパンパンという・・笑


原作や史実とは少し違うところもあるけれど、
そんなことはどっちでもよいほど、
愛にあふれ、

見終わった後も
やさしい気持ちに包まれ、
改めて宮沢賢治にふれたいと思えたお話でした。



そして、私という人間は
両親に、祖父母に、地域の人に、友人に、ふるさとに、
とても愛されて、ゆるされ、育ってきたのだなぁ、
という感覚とともに
なんだか愛おしさで胸がぎゅっとなりました。


今日の本題はここから。


少しだけネタバレになってしまいますが、
公式サイトにも書いてある部分なのでいいのかな。


自分の備忘録も兼ねて
今の私に響いたところを
少しだけ書き残します。


映画の中で、
後継ぎの役目を果たせないことを
父・政次郎に謝るシーンがあります。



「物語は自分の子どもだ」

という賢治に対して
政次郎は言います。

「それなら、お父さんの孫だ。大好きで当たり前だ」


私はこの言葉を聞くために
この映画を見たのだと思いました。




なぜなら、
私もそうだから。





私は三姉妹の長女として生まれ、
いずれは地元に戻るものだとして育ってきました。
ただ、高校卒業と同時に地元を離れ、今に至ります。


「後を継ぐ」ということについて
その重みを思い知ったのは
ここ数年のことです。


実家は何か家業があるわけではなく、
そうした意味では家を継ぐ必要はないし、
「いいんじゃない?」と
周りからは言われたこともあるし、
自分でもそこがぼんやりしていました。



でも、後を継ぐというのは
そういう「形」なのではなく、


その血を、地を、知を、

受け継ぐこと。
つないでいくこと。



今、私が実家に戻ることはできても
その次に繋いでいける人はいません。

妹には娘が2人いるけど県外に住んでいて、
遠く離れて住む父方のいとこたちも遠方だし、
子どもがいるのは1人だけ。


このままだとあの土地に関わりを持つ人は
私の代で途絶えさせることになるかもしれない。

その後につながっていく人はいないのかもしれない・・
それに気づいた時、

私はいわゆる「後継ぎ」という形ではなく、
「後を継ぐ」ことの大切さを実感したのでした。



そこを大切に思う人や、守る人がいなくなった時、
そこは荒れていきます。

もし、大切につないでいけるのなら、
地を継ぐのも、知をつなぐのも、
他人だっていい。

先祖代々つながれてきた血を
つないでいきたいという気持ちもやっぱりあるけれど、
それだけに固執もしなくてもいい。



若い頃は、
地元に縛られていると思いながら過ごしてきたけれど、
今では私自身がそこに戻りたいと思うほど大切になっていて、
受け継がれてきたものを大切に思う私がいて、


その「大切に想う気持ち」を
つないでいきたいなと思う。



そう思うと、
私はこれまでずっと土地や記憶をつなぐということに
関心があったし、
自分の中でなぜ大事だったのか、
改めてわかった気がします。


震災後の東北に住むことも決めた理由もそうだけど、
地元を問わず、
「ふるさと」や「暮らし」「受け継がれてきたもの」などを
残すこと、伝えることにこだわってやってきたのは、
だからなんだなと思います。


それで、
賢治から生まれる物語が「子供」なのだと思った時、
そうか、それでいいんだと思えた。



今の時点では
何もできていない私だけれど、

私から生み出されるもの、形にしていくもの。
それが、大切なあの場所をつないでいくことにもなるんだ、と。



私は、私の中から生み出されるものを
育んでいこう。


何を生み出せるだろう。
どう形にして残していけるだろう。
そのために何ができるだろう。


そんなことを改めて考える時間になったのでした。


宮沢賢治が物語を書き、
それが残り、生き続けるように、


私も自分の中から生まれるものを
大切に育もうと思えた、そんな映画でした。

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