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自分を守るためにHealthy Boundaries をちゃんと設定する
こんばんは。ホノルルは今週末、ホノルルマラソンなので、コンベンションセンターでグッズ販売やゼッケンの受け渡しをやっています。コンベンションセンターはワイキキとアラモアナの間にあって、時々、学会やコミケみたいなイベントをやっている大きな会場です。本番は日曜日。
昨年は、10kmに出たのですが(ひたすら歩いただけですが)、今年は全くその気がなかったので、今週末がホノルルマラソンだと昨日気づきました。自分ごとじゃないと、物事って本当にただの雑音になるんですよね。もしかしたら雑音の中に自分にとって新しい発見や大切なものが隠れているかもしれないのに、自分には関係ないと思うと、全くそっちに注意が向かなくなる。
でもそれは、人間の機能だから仕方がない。雑音の中に大切なものを落としたまま拾い上げることができずに死んでしまうのが嫌だと思うのならば、
「自分にとって何が大切か」
を明確にしないと見つけて拾い上げることができない。
色んな本や記事で言及されているReticular activating system (RAS)は脳幹に位置するニューロンネットワークで覚醒と睡眠覚醒の移行を調整する役割を持っている、らしい。私は、ニューロサイエンスの専門家ではないので、ただ研究結果をそうなんだと思って受け取っていますが、結局、睡眠に移行する際には、ノイズを除去する必要があって、結局それは、「今、必要がない情報が何かわかっている」ということになる。それが実は普段から使われていることがわかってきたらしく、瞬時に必要な情報を選び、必要がない情報は捨てる、という機能をRASが担っているという。
必要な情報は、その時々で変わる。例えば、「タイに行きたい」と思い始めた途端、タイの情報がやたらと目に留まる。ベンツが欲しい、と思ったら、やたらと街でベンツを見かけて、こんな高級車なのに結構みんな乗ってるんだな、と思ったりする。自分に子どもができるとやたら周りがこども連ればかりに見えてくる。ホノルルマラソンを走ると決めた途端、ホノルルの街中の人がホノルルマラソンのグッズを持っていて、みんな走るんだ!と思う。
実際には世界は変わっていないが、観察者、つまり自分が変わっている。観察者の視点が変化したことで世界の見え方が変わる。世界がやたらと自分の好きなものや気になるもので囲まれている感じがする。
その逆もある。こうなってほしくないと思っていること、見たくないもの、会いたくない人、嫌いなもの、そういうもの・ことばかり考えている人は、結局意識がそっちに向いているから、自分の周りはやたらと自分にとってマイナスなものばかりあるように思えてくる。
全ては主観であるから、自分が見える世界は全て自分で作り出すことができる。
月は球体である。月の形は変わらない。だけど、光の当たり方で、見える形が変わる。世界の見え方もそんな感じ。自分が見ている世界は、世界の一部でしかないし、常にその世界は自分の視点次第で変わり続ける。
自分はどんな世界を見たいだろうか。それを決めることが、自分の思い通りの人生を歩む一歩になる。
この1週間で何度も聞く言葉があった。
Healthy Boundaries
日本では聞いたことがなかったし、ハワイに来てから1年以上経つけれど、ここ1週間で突然よく耳にするようになった。おそらくそれは、私がそれを雑音の中から拾いあげると決めたからだろう。
Healthy Boundaries = 自分がベストのパフォーマンスができて、自分の心身が健康でいられて、幸せでいられる距離感、境界線
例えば、頑張れば、20人を相手にできる。仕事でも友達でもなんでも。もっとできるかもしれない。50人とか。だけど、それでは自分がしんどくなる。自分の時間や体力、心を犠牲にしないといけない。
だったら、5人だけを相手にすればいいじゃない。自分が全力で愛を注げる5人だけにして、空いた時間は自分や家族のために使えばいい。その方が、自分のパフォーマンスも上がるし、相手にとってもプラスになる。中途半端に関わることで、相手を傷つけるかもしれないし、自分も傷つくかもしれない。
国立大で研究室を持っていたときは、毎年の配属人数は3〜5人だったけれど、私立大のときは、15人くらい配属されたりして、明らかに学生1人に対して使える時間も労力も減っていたのがフラストレーションだった。学生は誰も悪くないのに。私立を選んだのは学生だから、と言う人もいるかもしれないけれど、私が高校生だったとき、国立と私立の差が、学費と偏差値以外にどこにあるのかよくわかっていなかったから、多分みんな分からずに入ってきている。もし私立大のときの研究室にいた学生たちを、国立大の人数の少なさで見てあげることができたら、どんなによかっただろう、と思うことがある。優秀な学生がたくさんいたから。
マッサージでも同じ。ハワイはローカルの企業と日本の企業が混在していて(もちろん、他の国も)、日本人セラピストは日本人経営のスパやクリニックで働く人が多い。ハワイにいても、働き方は日本。効率重視。セラピストは休みなく次々と施術をするらしい。もはや相手がどんな人かも分からないくらい。
私は、ローカルのスパで働いて、びっくりするぐらいのラフさと自由さとおもてなしを感じた。セラピストは、システム上で、理由も告げずに勝手に休みを取れるし、ランチや映画に行きたければ、勝手にその時間、予約が入らないようにブロックできるし、もう今日は帰りたいと思ったら、それも自分で操作できる。予約と予約の間に時間があれば、勝手にその辺フラフラと遊びに出られる。そして、お客様に対しても、友だちみたいな感じで話すし、今日が誕生日だから予約したよ、とコメントが入っていると、オーナーはそのグループのためにケーキ屋さんでケーキを買ってきて、施術後に紅茶も出して、ゆっくり楽しんでいってねー!と言う。6人グループとかがわちゃわちゃパーティを始める。ケチな日本人感覚だと、このケーキ代、どっから出てるのって思うけど、そんなこと全く気にしてなさそう。お客様、一人ひとりにちゃんと向き合っている感じがして、なんかすごくいいなと思った。
コーチングもそういうことだとわかっている。今週、私の知っている人にたくさん連絡をした。家族、友人、研究者としてお世話になった方々(特に世代が近くて親しくしてくれた方々)、ハワイで出会った日本人とアメリカ人。そのほか、SNSでも宣伝も兼ねて、ビジネスを始めたことを報告した。というのも、「あの人生きてるのかな」「大学に戻ってこないのかな」と思われているかもしれないので、とりあえず元気であることの報告と大学に戻らなさそうな雰囲気を伝えようと思ったから。
たくさんの方からポジティブなお返事をいただいて、ありがたい限りだし、私がコーチングを始めると聞いてコーチング自体に興味を持ってくださる人もいる。連絡した人の大半は日本人だけど、私は英語で全て作っているので、英語が分からないor時間がかかるからと言われたりして、一瞬、日本人の方のために日本語バージョンを作ろうかと思って、動画を作り出したのだけど、これがまさにHealthy Boundaries が崩壊していることに気づき、手を止めた。世界には英語が話せる人が山のようにいるのに、わざわざ、日本語で作らなくてもいい。その労力のせいで、本来準備したい教材の作成が遅れてしまっては意味がない。日本人でも英語で問題ないという人もたくさんいるから、そういう人が興味を持ってくれればいい。
本当は、内容的には、たくさんの人に読んでほしいと思ったけれど、みんなそれぞれ、自分にとって大切なものを選んでいるのだから、私のやっていることがその人に選ばれないならそれでいいと思った。たくさんの人が心に抱えているその違和感を解消してあげたいのだけど、”たくさん”は私のパフォーマンスが落ちるかもしれないから、少数で、ちゃんと私自身が一人ひとりと向き合えるようにしたい。その方が絶対にコーチングの効果が出る。
そして、これから、まだ見ぬ世界の人にリーチアウトして、遠くにいる誰かが私のコーチングで強くなってくれれば嬉しい。
コーチングに対する姿勢は、やっぱり日本人とアメリカ人の差は歴然としていて、全く反応が違う。日本人の中にももちろんポジティブな反応を見せてくれる人は何人もいるけれど、アメリカ人のポジティブさ加減は圧倒的だ。
自分の人生に投資する。それは当たり前のことである。もし、日本の経済が発展しない理由を問われたら、私はこのせいなのではないかと答える。
日本にいた頃、私もそうだった。自分の人生ではなく、他人の人生を生きている。他人に投資している。だけど、どれだけ他人に投資しても自分の心は豊かにならない。ずっと違和感を抱えたまま、どうしていいか分からないまま、また明日が来る。
私はすぐに辞める。すぐと言っても3、4年は続けているので、私にとっては、結構続けて辞めているつもりだけど、他の人からするとすぐ辞めるように見られていると思う。
日本にいた頃、Healthy Boundariesは完全に崩壊していた。どの職場でもダメだった。
だんだんと、Life Crisis Boundaries(人生の危機の境界線。勝手に作った言葉)が見えてきて、そして、私は逃げ出していた。だからある意味、壊れていたことがバレずに済んだ。休養のための休暇をもらったりしなかったから。でもあとちょっとのところで、そうなっていただろうと思う。ギリギリで生きていた。
最近、私の周りの色んな人が壊れている(いた)のを目の当たりにする。Life Crisis Boundariesまで行ってしまう人が結構いる。逃げた結果、また違う危機にさいなまれた人もいる。
どうしてその人の頭に浮かんでいる選択肢がそんなに少ないのだろう。なんでなんだろう。たくさん勉強すれば選択肢が増えるってやっぱり嘘なのかな。勉強すればするほど、制限が多くなっている感じがする。こうでなければならない、と。
私はもう、今は、Life Crisis Boundariesが見えるまで耐えることはしない。
自分にとってのHealthy Boundaries を守ると決めた。
人生は短いのだから。
自分を大切にすると決めた。
You should choose only the people who choose you.
あなたを選ばない人を追いかけなくていい。
世界には本当にたくさんの人がいるのだから。
あなたに合う人と一緒にいればいい。
あなたに合う人が必ずいるから。
わざわざ違和感を感じたまま、ストレスを抱えたまま、一緒にいる必要はない。
家族も、友達も、仕事仲間も。
ここまでお読みいただきありがとうございました。
明日も素敵な1日になりますように。
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