度を越えることも越えないことも大事(どっち?)
度を超えると便利だったものは不便なものとなる。それでも度を越えてみないないと、度を越していたことに気づくことができないので、度を超えることは大切でもある(笑)
これはITやAIに関わるツールに顕著に見られるかと思う。
その例の一つはノートアプリに言える。
Goodnotesが最たる例、というか、バージョンアップを重ねるほど使いやすいのか使いづらいのか分からなくなってきた。
ノートアプリがただのノートと違い便利な点は、「検索がかけられる」点や、「何冊も持ち歩かなくともアーカイブがすぐに見られる」点だと思う。そして同じ言葉を何度も書かずともコピペができたり、数字を数式に変換したり、手書きをテキストに起こしたり、画像を挿入できたり、、。
慣れれば何でも簡単に自由自在なのである。それなのに何を改良していくのか?
AIを搭載し出してからおかしな感じに
最近顕著なのは、AIを駆使したサジェスト機能。ここまでくると「ノート」をこえてChatgptと混ざってくる。じゃあChatgptが要らない?と思うと、そうでもなかったり。
すぐに「AIに質問は?」的な表示が出てくる。そういった機能を駆使してノートをどうすればいい?のか分からず使用しないでいると、表示されることが目障りになる。
特にGoodnotes は課金制となっていることもあり、開発を進めて新しい機能を搭載させることが大事なんだろう。それでも今やIT化の弊害で逆にアナログ回帰(手帳をつける、メモをとる等)も見られる中、元々まっさらな紙からスタートしたノートは、どこまでの成長を遂げるのだろうか?
スペック過多のためかログインが何度も跳ね返され、何度もログインを繰り返している時は、「鍵のついた日記」の鍵を探すような気分。Apple pencilの書き心地にも少しイラッとしていたので、思い切ってNotabiityに変更してみる。
以前にも使っていたため、昔の内容とともに復活。
Apple pencilの書き心地も心なしか滑らか、すぐにGoodnotesをサブスク解除。
お互いがお互いを意識しているのだろうけれど、それぞれの技術力は素晴らしい。しかし「ただのノート」で居続けるのか、ノートから脱皮するのかによって方向性は変わってゆく。
皆を満足させるものはなくて、ただ「何か違うな」と感じたら変更するのも大事だなと。約1000ページを超えるノートは自分の努力の糧でもあるけれど、思い切ってツールを変えることも必要。
スペックがてんこ盛りでも大抵の人は使わない。(めちゃくちゃあるリモコンのボタンと一緒)AIが世の中を便利にする、というより「ただのノート」の上で繰り広げられるのは最新テクノロジーの実験なのだと思う。
それを課金して楽しむ、そういったエンターテイメント要素も感じる以上は、「ただのノート」をちょっと便利に、、、と思う私は今のところ「ノート」という体を示しているNotabilityを使っていこう。