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かげした真由子(まゆちん)紹介「占い師に至るまでの道のり」
こんにちは。占い師の先生まゆちんです。
過去の原稿やメモ書きを整理していたら、『命日占い』を書く前にまとめた長文の自己紹介文が出てきました。
(棚卸したのよね。)
あまり自分の人生についてはアウトプットしてこなかったので、自己紹介がてらお届けしようと思います。
「運命のその先へ行こう。」占い師になるまでの道のり。
私は占い師です。
「なぜ占い師になったのですか?」とよく尋ねられます。
回答は「お金に困ったので」というパッとしないものです。
そんなきっかけでスタートした占い師人生。
それから20数年・・・
その私が「占い師の先生」というお仕事についていることは、今だにどこか不思議な気がしているのです。
そもそも、私は目標を立ててまっしぐらにがんばる!というタイプからは程遠く、目の前に落ちている美味しそうなお菓子を拾い食べていたら「占い師の先生」になっていたという有様です。
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しかし、不思議なもので50歳を前に「占い師の先生」をまっしぐらにやってみようと思う気になったのでした。50代という年齢は私が専門にしている占星術では「木星の時期」と言われ、”世の中への貢献”なんてものがテーマになってくるそうで、私もいよいよそういう時期になったのかもしれません。さて、私が世の中に貢献できるかどうかはさておき・・・
そんな木星の時期に私が掲げたいのは「運命のその先へ行こう。」という看板です。
というわけで、この看板を掲げるに至った経緯をプロフィールとしてお話しさせていただきましょう。お付き合いいただけましたら幸いです。
<お気楽な子供でした。>
1970年の京都。梅雨の季節に私は生まれます。
「こんにっちは〜♪こんにっちは〜♪世界の国から〜♪」でお馴染みの大阪万博の年であります。太陽星座は双子座、月星座は乙女座の時に地球に降り立ったわけです。
大企業に勤める厳格で心配性な父と、オシャレ好きで美人で音楽好きの母の間に生まれ、ごくごく普通の家庭で、音楽を学びながら、自由にのびのびと育ちます。
のびのびが行き過ぎ、ピンポンダッシュの趣味や、知らないおじさんの車に乗って帰宅する事件などで両親をヒヤヒヤさせるほど「世の中は、まあまあ安全なところ」と思い込んでいるお気楽な子供でした。
ところが、そんなお気楽な私に人生のクライシスは意外にも早く訪れます。
占星術的に言うと3ハウス冥王星。
そして12ハウス太陽と冥王星のスクエア。
そんな星たちの象徴を垣間見るような出来事に遭遇するのです。
(同じ配置の人が同じ体験するわけじゃないよ。)
7歳の秋の夕暮れに訪れたクライシス。
秋の夕暮れ時でした。
小学校2年生の秋のことでした。
母の手作りのカレーライスを家族揃って、食べていた夕飯時のときのことです。電話がジリリリリと鳴ります。
(昭和な壁掛けの黒電話です。)
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父が電話に出ました。
「うん・・・うん・・・
どういうことや。
えっ・・・そうか、
M子は?・・・即死か・・・
H子は重体か・・・」
という電話に出ている父の言葉。あのときのことを今でも覚えています。部屋中が一瞬にして凍りつくようなエネルギーに包まれ、私も凍りました。
「即死」という言葉が7歳の私の頭をガーーーンと打ちのめします。
「即死って死んじゃったってこと・・・・なの。」
そう叫びたい気持ちを抑えながら父が電話を切るのを待ちました。
しかし、待つまでもなく、7歳の私にも、電話の向こうで起こった出来事を理解するには十分でした。
父の兄には小学生と中学生の二人の娘がいました。私にとっては従姉妹です。
車で小一時間のところに住む従姉妹たちとは、姉妹のようにいつも遊んでいました。二人は揃って出かけていたピアノ教室で火事にあってしまいます。そして、妹のMちゃは煙に巻かれて即死し、もう一人のお姉ちゃん(Hちゃん)がひどい火傷で生死の間を彷徨っているという電話だったのです。
そのあとのことは、私もよく覚えていないのです。気がついたらMちゃんのお通夜にいました。そして残念なことにお姉ちゃんのHちゃんも妹のMちゃんのあとを追うように1日置いて天に旅立ちます。享年11歳と13歳。私は7歳でした。
この日から数日お通夜とお葬式が続きます。まだ夢を見ているようなふわふわした現実の中、普段遊んでいた従姉妹のお家は黒と白の幕で覆われ、多くの人の泣き声と悲しみに包まれる場所になります。
何が現実かよくわからない数日でした。
幼いながらも、起こったことは理解していましたが、自分に起こった感情が受け止めきれませんでした。それどころか周囲の大人達はもっともっと受け止めきれなかったでしょう。私にとっては自分の感情よりも、周囲の大人たちの悲しみぶりが衝撃的でした。
いつも私を含め、三人の少女を可愛がってくれていた厳しいけど優しい祖父はうなだれたまま。声も出さずに涙を流していました。その祖父にお葬式の席で「真由子ここにおいで。」と呼ばれ、祖父の膝に黙って座る私。
その頃、私は黒い服を持っていなくて紺色のセーターに赤のチェックのスカートだったのを、なんだか申し訳無く思っていたことをはっきり覚えています。
祖父は私の肩を抱いて(というか掴んで)言いました。
「オマエが三人分生きてくれな。頼むで、頼むで・・・。真由子は生きてくれな。」
おそらく私は無表情のまま、そこにいたと思います。そして内心こう思っていました。
(そんなん・・・3人分とか無理やし・・・おじいちゃんごめんな。一番、出来損ないの孫が残ってごめんな。)
って。
なぜかそこで私は生き残った罪悪感のようなものをもってしまったのでした。二人の姉のような従姉妹はとても優しくて、いつも、いたずら好きな私をかばってくれました。
おじいちゃんの盆栽の赤い木の実をもいでしまった時も、かばってくれたっけ。(赤い実=摘むもの と思い込んでいて悪気はゼロでした)
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優しくて、お勉強も良くできて、生徒会長もして、絵も上手、ピアノも上手。難しい本も読めちゃう。私にとっては自慢で憧れのお姉ちゃん達でした。
だから、私が彼女達の分を生きるなんて出来ない、って冷静に思ってしまったんですね。
だって、おじいちゃんの赤い実を摘んでしまったことが悪いことだ、ってのさえ理解できなかった私です。(まあ、小さいので仕方ない)
でも当時の私は、取り残されたような孤独感と、生き残ってしまった罪悪感とショックでいっぱいでした。
色々なショックと思いが入り混じる中、初七日が過ぎ、49日が過ぎ、1周期が過ぎ、でも、やはり、みんなの悲しみは癒えることはありませんでした。
そして、私は、この出来事をきっかけに「なぜ人は死ぬんだろう。」という疑問にこだわり続けることになります。
何者かに対する反発心がうまれます。
祖父母から愛の深さを学んだまゆちん。
その後に反発心が生まれます。
さて、何に対する反発心だったのか。
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喪失体験を乗り越えようとする人の愛やたくましさに触れると同時に、私には、神様や仏様に対する「反抗心」のようなものが育っていったのです。
今から思うと「お前何様やねん」ですけど・・・(汗)
そう。祖父母たちの愛を学んだ後に、私の中に生まれたのは「行き場のない怒り」でした。
こんなに愛情深い人たちを苦しめる運命ってなんだんだ!
こんなに写経も毎日して、毎日お墓参りに行って、神さまや仏様を大事に思っている人たち・・・なのに、なんで神様や仏様はこんなにいじめるんだ!みんなそれでいいの!?おかしいよ!?なんでおばあちゃんは神様に祈るの、仏様に祈るの?なにもありがたくないじゃない!
なんでみんな神様にちゃんと怒らないの!!!
神社とかお坊さんとか、なんのためにいるの!お参りにいったっていいことないじゃない!
という子供っぽいけど、純粋な怒りでした。
怒りの矛先。
行き場のない怒りは、恐れ多くも仏様や神様に向けられました。
ていうか神様も仏様もいない。いたらこんな悲しい思いをさせない。
そして、死んだらどうなるの?
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そういった怒りや疑問を幾度となく、大人達に投げかけたこともありますが、一度として納得した答えに出会ったことはありませんでした。
中でも私がさらに混乱した一番印象に残っている答え(おそらく住職さんからの答え)は、
「あの子達は優秀だったから、仏様の使いとして、天国に召されたんだよ。妹さんは仏さんのお膝元に、お姉さんの方は天使さんだよ。」という説明でした。
その光景は幼い私にも簡単にイメージすることができました。なぜなら、その絵面はあまりにも生前の優しく輝く彼女たちに似合うものだったからです。
しかし、私の心は安堵するどころか、さらに混乱を極めます。
「迷わず二人は天国に行けたんだ。」
という安堵とともに、どう納得していいのか、私は、ますますわからなくなったのです。
この世を平和にするのが仏様なのに、なぜ優秀なはずの子供を地上から奪うのか。
「その恐ろしいヘッドハンティング!?なに!?(怒)」みたいな疑問ですね。
結局、当時の私が行き着いたひねくれた結論はこうです。
「そうか。私は、出来損ないなので取り残されたんだ。」と。
妙な着地をしてしまいます。生きている方が価値があるのか、死の世界に連れて行かれた方が価値があるのか?もはやわかりませんでした。
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納得する答えは見つからない。でも一つの安心を手に入れます。
その後、怒りと疑問を解消したかった気持ちは変わりませんでした。
お寺や神社に縁があるたびに親には気づかれないようコッソリ、「この人なら知ってそう」な人に疑問を問いかけてみたのでした。そして、何度か目、こういう返答をいただきます。
「ウーーン、そうやなあ、、お嬢ちゃん。大人になってもわからないこともあるで。」
という答えを多分親戚の法事の時にいらっしゃった住職さんから聞き出したのです。
「わからない?こんなにおじいさんのご住職さんでもわからないの!?本当?本当?」
そうか、わからなくていいんだ・・・・・!と、私の魂はようやく安堵したのでのです。
正解を求めていた私は「わからない!」ってなんて素敵な答えだろう!と思いました。
今から思えば、「わからない」はとても深い言葉だったのだと理解できます。しかし、聞いたのは小学生です。魂に染み渡るまではいかなかったのでしょうね。
でも、ここで一旦重たい荷物を下すことができたのです。
その返答をくださった住職さんには感謝です。今から思えば、小学生の私が追い続けるには重すぎるテーマでした。だから、いつか探求できる心の筋肉が育つまで、一時的にフタをしておくことが必要でした。
でもこの時の「大人でもわからない」ということが後々、長きにわたり、私の死生観を健全に育んでくれるのです。
そして、その「フタ」のおかげで、私は本来のお気楽さを取り戻し、日常に流されながらも、成長していくのでした。
やりがいのある仕事との出会い
小さい頃から、周囲の人を楽しませたい、驚かせたい!とイタズラばかりをしていた私はいつしかエンターテインメントの世界に憧れます。
母が音楽を仕事にしていた影響もあるでしょう。
そもそも音楽を仕事にできた時点でハッピーでした。
大学では音楽を専門に学び、最初は音楽の教師を目指しました。私だったら従来の先生よりも音楽の本当の楽しさを伝える教師になれるのではないか、と思ったからです。(かなり自信過剰ですな・・・。)
でも教育実習にいって一瞬で悟りました。「これは私のする仕事ではない。他の人がするべきだ。」と。(すごく楽しかったけどねー。)
ただ教師に憧れていたのは確かです。
今から思うと、この気持ちがのちに「占いの先生」と名乗ることにつながっていったのかもしれません。
そして、たまたまテレビで「ゲーム会社で作曲する仕事」という職があることを知ります。関西で本社がある(当時)2社を受け、現在では憧れの職業にランクインされているゲームクリエイターとなり、サウンドデザインという業務に携わることになります。
天職だと思いました。
朝から晩まで好きな音楽をパソコンに向かって作り続けるのです。
しんどいです。笑。徹夜仕事もしょっちゅうで眠れません、でも、それさえ楽しいと思う日々でした。おそらくすごい数の曲を書いたはず。(400〜500曲ぐらいかな)
書けば書くほど腕も上がり、それが楽しくてやり続けてました。
またまたクライシス〜阪神淡路大震災
しかし、社員になって二年目。
私は一人暮らしを始めます。
神戸市長田区の築30年のアパート。
もうおわかりですね。
そう。
引っ越して1年も経たない間に、阪神淡路大震災にあいます。
連休が明ける日でした。
朝方、なんだか気分が悪くて(多分昨夜の酢豚を食べ過ぎたせいだろう。と)目が覚めます。
その瞬間の大きな揺れでした。
尋常じゃなく大きく縦に揺れる一人暮らしの部屋の中は、まるで洗濯機に放り込まれたような気分でした。
その尋常じゃない揺れの中で、ぼろアパートの天井が歪んで揺れるのを見た時
「ああ、天井が落ちてきて、このまま死ぬのかな。」
と冷静に考えました。
死ぬ時って、物事がスローモーションに見えるって言いますが、そんな感じでした。思考がすごくフレームごとに細かく見える感じでした。
不思議と怖くはありませんでした。
ただ
「ああああ・・・(大きなため息)」
と共に、
残念な気持ちでいっぱい
になったのです。
まだ何も成し遂げていない。
親孝行さえしていない。
冬にもらったボーナスも使っていない。(笑)
生命の保険さえかけてない。
親に残すものもない。(笑)
何にも残さずに死ぬのか・・・。
ああ、人生ってやっぱり幼い頃に学んだ通り「ままならない」ものだ。
死はいつも隣り合わせなんだ。
私は、安物のパイプベットの下で必死に潜り込み震えてました。
死ぬ前に考えることって意外としょうもないねんな・・・なんて考えたのも覚えてます。
何分ほど続いたでしょうか。
揺れはおさまります。
生きてる!!!
そのままおぼつかない足取りで、私は玄関出口へと行くのですが、ドアが開かないのです。アパート全体が玄関側に傾きドアがへしゃげてあかない・・・。
余震らしきものもくる。
ああ、やっぱり死ぬんだ。と思いながら「だれか〜〜〜あけてくださ〜〜〜い!!!」と自然に叫ぶ私がいました。
するとお隣さん(カップル)が外から蹴破ってくれたのです。
「大丈夫かあ!!!」って。
扉が開いたのです。
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今から思えば、ここで一旦生まれ変わった気もします。
おかげさまでかすり傷ひとつなく、小学校へ避難します。
(その前に、近所の同僚の家に駆け込んだな〜。)
もっと大きくなりたい。
さて、そんな震災を乗り越えつつも、続けた会社員。
もっともっと可能性を試したいと思うようになります。
(占星術で言うと太陽期スタートです)
そして、会社を退職し、ベンチャービジネスに携わることとなります。
ゲーム業界の先輩たちと小さなソフトハウスを立ち上げ、そこで私は同じようにゲームサウンドクリエイターとして勤務し続ける日々が続きます。
しかし、景気の良い時とそうでない時の差が大きいベンチャー起業。当時一人暮らしだった私は経済的に困窮してしまうことになります。
来月の家賃を支払うことに困り果てた私は、ベンチャービジネスへの夢を諦めることもできず、だからといってお金がないのも困る・・・という有様でした。
友達の披露宴に招待されているのにお祝いを持っていけない、どうしよう。そして家賃すら払えない。実家には言いたくないというグルグルした考えの中、気がついたら消費者金融の無人マシーンの前に佇んでいました。
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しかし、それもなんだか怖くなって、向かい側の書店に入ります。立ち読みでもして気を紛らわそうと思ったのでした。
これが私の運命を変えたのです。というか運命だったのかな。
今でも本屋さんは私のラッキープレイスです。
![](https://assets.st-note.com/img/1720947009059-WFJ7iSJW1m.jpg)
占いとの出会い。
忘れもしない・・・何気なく手にとって立ち読みした雑誌・・・確かファッション雑誌でした。巻末に12星座占いが載っているので何気なく立ち読みです。
すると記事の下に「電話占い師募集」という文字が目に入ります。「在宅で夜間にできるお仕事」ということで、昼間ゲームクリエイターのお仕事をしながらでもできる!と思ってすぐさま興味を持ったわけです。
今から思えば無謀でした。
なぜなら占いの「う」の字も勉強したことない私でしたから。
しかし、その本屋さんで「タロット占い」という入門本にカードがセットになっているものをなけなしのお金を叩いて購入し、その夜、占い会社のオーディションを電話で受けることになったのでした。
良い子の皆さんは真似しちゃダメです。
買ったのはこれ
https://karasuya.fool.jp/original/tarot/deck_38.html
もちろん占いなんて雑誌の12星座占いを読むぐらいで、提供する知識などゼロでした。しかし背に腹は代えられないということで、藁をも掴む気持ちでオーディションを受けたのでした。
他にもコンビニでバイトすることや、夜のお仕事も考えなかったわけではないのですが、一番抵抗なく導かれたのが不思議なことに「占い師」というお仕事でした。後からいろんな方に話すと「一番ありえない選択」だそうです。
さて、これまたラッキーなことにオーディションに見事合格し、その夜から待機することになります。
これが私が占い業界、そしてタロット占いという分野に足を踏み入れたきっかけだったのです。25歳の時でした。
これが占い師人生のスタートです。
とりあえずここで一旦完結します。
お付き合いいただいた皆様ありがとうございます。
かげした真由子(まゆちん)の活動一覧
<かげした真由子の著書>
![](https://assets.st-note.com/img/1720944714155-b89FPx0EYl.png)
『命日占い』
サンマーク出版
![](https://assets.st-note.com/img/1720944835335-PmYntxvj6j.png)
『命日占い<未来編>』
サンマーク出版
![](https://assets.st-note.com/img/1720944470863-EjV9I3CVkk.png)
天国で交わした魂との約束を思い出す
『魂占い』
サンマーク出版
![](https://assets.st-note.com/img/1720949716995-HYCX2jWiSa.png)
『はじめての タロットBOOK』
永岡書店
![](https://assets.st-note.com/img/1720950032825-iLaLsYVqGy.png)
出会う絆の10のカタチ
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