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”命日”を扱うということ
わたしは『命日占い』という本を
世に出しているのですが
「命日」という言葉を使うくらいなので
人の”死”をテーマにしています。
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”死”というのは世間では
タブーとされがちなこと。
特に日本では多くの人は
見ないようにしたり
あえて触れないようにしていたり。。
だから『命日占い』を世に出すときに
ものすごーく葛藤があったのです。
今までそのことについては
書いてなかったので
今日は『命日占い』の裏側を
すこし書いてみようと思います。
何を隠そう私は人一倍
”死”というものに
触れたくなかった人。
というより、
触れられたくなかった人間でした。
小さいころに遭遇した出来事から
自分なりに「死」というものを
ひたすら追いかけてきた人生だったので
余計に他人から
どうこう言われたくなかったんですよね。
生まれ変わるから大丈夫とも言われたくないし
死で終わりだから大丈夫だよとも言われたくない
そんな答えを聞きたくないー!!
そんなことで片づけるなー!!!
という風に
耳をふさぎたくなるような感じでした。
(詳しくはプロフィール記事をご覧ください)
ここは私の中の
癒されていない部分でもあったのですが
そういう点では
『命日占い』は
過去の自分に向けて
書いたようなとこもあるんですよね。
ってことはね
『命日占い』を手に取った読者の方の中には
「故人とのことを
そんな風に言われたくないねん!」
っていう人がいることも
そういう人たちが抱く感情も
私にはものすごーく分かるんですよね。
だから、
『命日占い』を執筆しようとしたときは
ものすごく葛藤しました。
・こんなこと本にしていいのかな?
・誰かを傷つけてしまわないかな?
・これは本当に意味のあることだろうか?
ほんとーにグルグルと。
でもね・・・
だけど、
やっぱり伝えたかったんだよね。
私は小さいころの喪失体験から
人生とか
神様とか
天国とか
意味とか
無意識にも、意識的にも
ひたすら考えてきた人生でした。
正直、「死」と向きあってきた人生だった
と言っても過言ではないかもしれません。
そんな中で
どうやったら人は喪失体験を乗り越えられるのか
どうしたら死と向き合えるのか
どうしたら故人と繋がれるのか
を探求してきて、導き出した一つの答え。
故人との繋がりは
育み続けることができる
それは生きるあなたのためにある、と。
どうしても
これを伝えたかったんですよね。
私は小さいころに経験した
従姉妹たちとの突然の別れを
どのように受け止めたらいいか
どういう風に消化していいか分からなかった。
もちろん、頭ではわかっているんだけど
心がどうしても追い付かないから
ずっと蓋をして生きてきた。
こんな風に、私と同じように
大切な人との別れを
どうしても消化できない
どうしても受け止められない
心にはずーっと穴が開いたまんま
って人はたくさんいると思うんです。
そういう人に何かそっと寄り添えるようなもの
ふっと縁側に置いておくようなもの
を作りたかったわけなんです。
しかもですね
この繊細な命日というテーマを
占いという、世の中で
表立って受け入れられてない
ツールを使って表現しようとした。
占いって人によっては
ちょっとした拒否反応が
起きそうなものだったりします。
曖昧だし、不確かなもの。
それを誰もが経験する
死という繊細な体験と融合させる。。
まるでつけ込んだかのように
「何でも商売にするんやな」
と捉えられることもあるだろうなぁ、と。
実際そういう面があることは事実なのでね。
我ながら
かなりハードなトライですよね。
それが分かるだけに
やっぱり葛藤も大きかったし
事前にかなりの準備もしました。
想定できるクレームを
すべてピックアップしてもらって・・
そのクレームに
ずーーーっと想いを馳せていた。
やっつけるという感じではなく
そこまで思いを馳せなきゃ
どういうふうに
言葉を紡いでいいか分からなかったんです。
自分の中で処理しきれていない何かと
向き合うための時間だったのかも
と今になってみて思います。
本当はね
もっと占星術師として
バリバリ占星術の本を
出したい気持ちもあったんです。
だけど「命日」を扱うのだから
ちゃんと心を癒すものにしたい
そこは譲れなかった。
占星術の説明を入れすぎると
読みにくくもなっちゃうので
唸りながら原稿と格闘していました。
占星術師としての葛藤もあったし
死を語るという1人の人間としての葛藤もあり
同時に、癒しへ挑戦と
占星術としての可能性を試す
ということも含まれていたりもして…
色んな次元の葛藤がものすごく
絡み合っていたわけです。
そういう意味では
中途半端なものにあえて挑戦した
という感じではありました。
『命日占い』を読んでくださった方は
わかると思うんですけど
セラピーのようだし
占いのようだし
物語のようだし
色んなものが融合しているような
印象があるかと思います。
でも、このカタチが私の中では
最終的な着地点だったんですよね。
人によって
喪失体験はいろいろあるので
受け取り方は
賛否色々あると思います。
だけど、人の喪失体験には
占いのようなクッションがあった方がいい
というのが私が自分の体験から
感じていることではあります。
そのクッションとしての役割を果たすために
『命日占い』は
どこまでも優しく
どこまでも丁寧に
自分の中の優しさをぎゅっと集めて
言葉を紡いでできたもの。
こんな風にして『命日占い』を2020年に出版しました。
あれから5年経つのですが
今この記事を書いていて思うのは
いまの世の中には
このクッションのような優しさが
もっと必要なんじゃないかな、ということ。
風の時代になってから
軽やかさやスピード感は
多くの人が感じていると思います。
だけど、それをより上手く機能させるためには
人間的な柔らかさや優しさが
もっともっと必要なんじゃないのかな、と。
そんなことを思いながら
現在進行形で、書籍の執筆中でございます。
(はい!原稿執筆の現実に戻りますっ)
ということで
お読みいただきありがとうございましたー!
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