病も怪我も氣から🧬 〜心と体の繋がりについて〜
今回は、私が感じている、“心と体のつながり”について綴ってみようと思います。
私が、自分の体験を通して氣がついたことは、“病は氣から”といいますが、本当にその通りであったこと。そして、“怪我も氣から”だったということです。
話は、私の幼少期にさかのぼります。
自分でも自覚するほど、私の体は、とても丈夫です。自己免疫力が高いようで、もちろん風邪などを引くこともあるけれど、基本的にはいたって健康体だと思うのです。
でも、小学2年生くらいから6年生くらいの間でしょうか。
なぜか突然、思いもよらぬ体の不具合が発生しては、のちに自然と完治していくという、謎の現象を繰り返していました。
一番初めは、アトピーとして。全身にはしる痒み、搔きむしることで血も出るし、色素沈着するし、子供ながらにとてもつらかったのを覚えています。でも、1年くらいたったある日、突然に痒みが消え、そのままアトピーとおさらばすることになりました。
次は、突然の視力低下。裸眼で2.0だったのが、学校の視力検査で0.2くらいと診断され、あまりの急激な低下に、眼科に行くように言われました。眼鏡を作らなければならないと言われ、数回通院したのですが、ある日突然に視力が回復。その後は、大人になっても、視力2.0をキープしました。
次は、円形脱毛症。母が交通事故に会い、心配と不安とストレスから、つむじの辺りの髪の毛を自ら抜きはじめ、ある日、祖母に指摘されて鏡を見てみると、立派なハゲができているのに氣がつきました。つるつる頭の祖父が通う皮膚科を受診し、育毛剤を塗り込む日々が始まりました。数か月後、無事に髪の毛が生え始め、なんとか一件落着。
その後、定期健康診断の尿検査で引っかかり、地元の病院へ。腎臓の何かの数値が異常に高いということで、続けて通院することに。大好きだったカリカリ梅を食べれなくなったことしか記憶にないほど、すこぶる体調は良く、なぜに腎臓のナンチャラ数値が高くなったのかは謎のまま。でも、数か月後、突然に数値が正常化。通院の必要がなくなりました。
そして、またまた円形脱毛症に。もう、おしゃれにも目覚めている時だったので、友人たちにばれて、恥ずかしい思いをしないように、必死に隠していたのを覚えています。
このような感じで、“一難去っては、また一難”。
思いもよらない体の不具合が起こっては、まるで嘘だったかのように突然に消えていくという、不思議な体験を繰り返していました。
それから時がたち、大学生から恋愛依存症を卒業するまでの約20年間。
この期間は、“病”ではなく“怪我”というかたちで、いろいろな“難”を体験していました。
大学生のころに付き合っていた彼と、自転車に二人乗りをしていた時のこと。後部座席にまたがっていた私の革靴がタイヤに巻き込まれ、かかとの肉を深くえぐってしまいました。彼の判断で救急搬送された私は、その後、手術ののちに数か月におよぶ松葉づえ生活を余儀なくさました。
次は、弟の結婚式をまじかに迎えたある日のこと。お酒が入りすぎた父と弟の間に大乱闘が勃発。制止しようと、父の顔面を思いきりグーパンチした私。強靭な父の顔面は、全くの無傷。私は、右手の小指を骨折。ドクターがいうには、これをチンピラ骨折と呼ぶらしく、手術の末に大きなギブスをはめて生活することに。迎えた結婚式には、振袖+巨大ギブスという異様な出で立ちで参列した、当時30歳の姉の私でした。
次は、静かに年の瀬を迎えようとしていたある日の夜中。激しい猫のうめき声に外に出てみると、ワンちゃんと猫ちゃんの一触即発の一騎打ちが。しびれを切らしたワンちゃんが猫ちゃんに襲い掛かった瞬間、私は間に割って入り、無事に猫を救出。猫からしたら私も超不審者。私の鼻をガブーと噛み、どこかへ消えていきました。念のため、救急病院へ。33歳女性、野良猫に鼻を噛まれ出血と記入した問診票は、今でも忘れません。
大阪で一人暮らしを始め、夜な夜な酔って帰宅。ある夜、酔ったまま自転車で大転倒。膝から流血しているのは確認したものの、ほったらかしのまま数日を過ごしました。と、突然、足全体に痛みがはしり、歩けなくなりました。ドクター曰く、傷口から侵入した菌が大増殖し、リンパ節まで達しようとしていたとのこと。危うく、片足を失うかもしれなかったほど、おおごとになってしまいました。
次は、高いヒールの靴を履いて出勤中、横断歩道でグリッと足首をひねってしまい、あまりの痛さにクリニックに直行。剥離骨折と診断され、またまたギブス生活がスタートしました。
場所は変わり、バリ島に移住後、当時好きだった彼とサーフィンをしていたとき、大きな波に巻き込まれた私は、ランドリーのようにぐるぐると水中で回されながら、サーフボードのフィンで左足をざっくりと切りました。数針縫う大けがで、完治まで結構な時間を要しました。
という具合に、大人になってからは、生傷というか外傷というか、いろいろな“怪我”が絶えませんでした。
自分の不注意が招いたのだから仕方ないと思いながらも、なぜにこんなに頻繁に怪我をするのか、小さな疑問でもありました。
それから迎えた、恋愛依存症からの解脱のとき。
潜在意識という無意識領域に持っていた、「私は母から愛されていない。」という思い込みを、好きな男性から愛されなくなるという現実として映し出し、苦しい苦しいともがいてきたことが、腑に落ちた瞬間でした。
それと同時に、以前から疑問に感じていた数々のことが、まるで点と点が繋がるように、紐解けた瞬間でもありました。
そのうちの一つが、この謎の“病”と“怪我”でした。
幼少期の“病”も、大人になってからの“怪我”も、この「私は愛されていない。」という思い込みが、引き起こしていたことだったのです。
小学生の私は、いつも弟ばかりを可愛がっているかのように感じていた母の愛情を、もっと私に向けて欲しかった。
だから、無意識のうちに、“病”を患うという形にして、母親の注意や心配を私に向けてもらおうとしていたのです。
大人になってからの“怪我”だってそう。
“怪我”のルーティーンが始まったのは大学生の頃。男性と本格的にお付き合いが始まるお年頃から、スタートしています。
さらには、全ての“怪我”が、彼氏やそれらしき男性がいる期間に限って、発生していたのです。
なぜなら、「もっと私に構ってほしい。もっと彼の愛を私に向けてほしい。」そういう、無意識の願いがあったからなのです。
全ての根底には、「私は愛されていない。」という思い込みがあり、だから「どうにかして、愛されたい。」という願いから、さまざまな“病”や“怪我”を、自らの意識で引き起こしていたということが、分かりました。
そのことを証明するように、私は、この思い込みを見つけることができてから、不必要な“病”や“怪我”をすることがなくなりました。
現代社会において、体を“外側”と表現するならば、目に見える“外側”には氣をつかえても、目には見えない“内側”の心のことは、それほど重要視されていない風潮が、いまだ往々にあるのではないかと思うのです。
でも、私は自分のこの体験と発見を通して、“内側”と“外側”どちらもバランスよくケアしていくことこそが、真の健康力につながっていくのだと感じています。
だからこそ、なにか体に不具合が起きた時には、自分の心にも同時に耳を傾けてみる。「最近、自分に無理をさせていなかったかな?」とか、「自分に優しくできていたかな?」って、氣にかけてあげる。
そうやって、両方を大切にしていくことが、とても必要だと思うのです。
“病も怪我も氣から”。
心と体は、私たちが思う以上に、とても密接にかかわりあっています。
とはいえ、かつての私こそ、心をおざなりにしすぎていた一人ですので、“氣”の部分をどのようにケアしていけばよいのか、はじめは全く分かりませんでした。
でも、少しずつ、いろんなことを学び、“氣”を整えるとはどういうことなのかが、以前よりも分かるようになってきたように思います。
このような、目には見えない“内側”のケアについても、今後、このブログでシェアしていこうと思います。
それでは、お読みくださりありがとうございました。