〜恋愛依存症克服への道〜⑥思考の現実化と幸せへの確信
コロナウイルスの流行で得られた、無限にも思える自由時間。新しい仲間に出会い、新しい景色を観て、さまざまな新しい体験をし、どんどんと自分の世界が広がっていくようでした。
それまでは、体も頭も心も全て、好きだった彼のことに囚われすぎて、自分を生きている感覚さえ忘れていましたが、自然とその囚われから解放され、久しぶりに自由や幸せを噛み締められるようになっていました。
前章でも書いた通り、彼が付き合っていた彼女との関係を完全に終わらせたという、私にとっては奇跡のような展開も巻き起こりました。長きに渡り、苦しみ続けた三角関係の呪縛からも、やっと解放されることになったのです。
私の過去の全ての恋愛遍歴は、三角関係の構図のもと、最後は私が捨てられてオシマイになるというのが通例のパターンでした。なので、この展開は、今後を期待できる、誠に喜ばしい出来事だったのです。
そして、私はこの展開について、次のように分析しました。
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それを踏まえて、「せっかく良い流れが来ているし、このまま自然な流れに任せていれば、きっと彼との関係も良いものになっていくだろう。だからこそ、今は彼との緩やかで暖かい時間を楽しもう。」そう決めました。
しかし、やはり、両思いのような片思いの状態に、心から満足できるわけがありません。
“決めた”というのは建前で、自分の本当の望みに蓋をしていただけでした。
「やっぱり私は、私を彼女として認めて、私を大切にして、私を愛してくれる人がいい!」という本当の望みが、心の奥に見え隠れするのです。
“思考が現実化すること”を学び始めてからというもの、また、バリ島という土地のエネルギーも相まって、自分の思考が現実化するスピードが、とても速くなったように感じます。
だからこそ、必然のことなのですが、自分が期待していたほど、彼は私という存在を大切だとか必要だとは思っていなかったんだと思い知らされる出来事が起きたり、挙句の果てには、予期せず彼の口からはっきりと「私を彼女にする気はない」宣告を受けることになったり。ましてや、彼との縁を絶たざるを得ないほどの大事件が勃発したり。
一見、どれもこれも、再び私を苦しめるために起きているようにも見えましたが、ただ純粋に、“私の思考が現実化していた”だけなのでした。
すなわち、立て続けに起きたネガティブにも見える一連の出来事は、「私を大切にして、私を愛してくれる人と共に幸せになりたい」という、私の本心からの願いが現実化していく上での、必要なプロセスに過ぎなかったということです。
以前の私なら、その状況に対して、メソメソと「嗚呼、また彼に振られてしまった。また捨てられてしまった。また一人ぼっちだ。私のどこがダメだったんだろう。」と嘆いたり、自分を責めたりしていたでしょう。しかし、私は確実に変わっていました。
自分自身の心の持ち様に、自分で驚いてしまうほどでした。
どれだけ辛くても、泣き叫びたくても、「私は絶対に大丈夫。必ず、幸せにしかならないんだから。」と、強い確信にも似た思いが私を支えてくれたのでした。
次回。
なぜ、私が「私を大切にして、私を愛してくれる人と幸せになりたい!」という願いを、潜在意識まで落とし込み、現実化まっしぐらになるまでに至ったか。そして、「絶対に大丈夫!」と言える自分になっていたのか。
この点についてと、いよいよ、私の長きにわたる恋愛依存症に自ら終止符を打つことになった“内観”と“心の癒し”について綴ります。
最後まで、お読みくださりありがとうございました。
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私の過去の数々の失恋物語は、
私の〜恋愛暗黒時代〜シリーズにありますので、
どうぞお読みください。