「子供」と私

今日は母の命日である。母は私が19歳の時に突然逝ってしまった。若かったのでとても動揺した。それまでも、父親が早く亡くなってしまったので、母子家庭で母に依存していたのでその動揺はただならぬものだった。。。


と言っても、母の話ではなく「子供」の話をしたい。子供の頃は母が昼夜働いていたので、ほぼ食事は一人。母が忙しい時は、米を研ぎご飯を炊いて、おかずを作って食べていた。もちろん習い事などさせてもらえず、公園で走り回って遊んでいた。楽しかった記憶も多いが、やはり不自由さは感じていた。

団らんを求めていたのは間違いない。団らんに憧れがあったし、甘えられる大人を求めていた。自分では楽しいフリをしてても潜在的には寂しかったのだろう。でもそんな人はいなかったので、自立心がどんとん育った。自分の寂しさを隠すように強がったりもした。一人でやっていくことが当たり前に。

大人になって???年の私だが、子供には特別な思いがある気がする。ご飯はちゃんと食べてるか?親とスキンシップを取ってるか?お手伝いはしているか?満たされないものはないか、、、自分と重ねて見てしまう。そして、自分にできる事を探し始める。

そんな私は、不妊治療で子作りをしてうまくいかなかった経験がある。結婚生活も長いのだが、なかなか子供に恵まれず年齢的に最後のチャンスに挑戦した。それはそれは辛いものとなった。身体的、精神的、経済的に疲弊した。流産という地獄の結果も。これにより私は人生で一番大きなどん底を味わうことになった。おむつのCMを見ては土砂降りの涙。ベビーカーを見ては土砂降りの涙。精神的に崩れていくのがハッキリ分かるほど病んでいくことに。

そんな状態から数年をかけて回復していく過程で、よその子を可愛がっちゃおう!と気持ちが切り替わった。友人や家族の子供達を可愛がることに。子供達と触れ合う中で体験する「愛おしい」と感じる感覚。子供達の瞳を見て「はっっ!」とする純粋で美しい感覚。これは特別なものだ。


子供の頃の自分の生い立ち、不妊治療の経験。これらが私に「子供」への何か因縁のようなものを作った。子供達に何が出来るか。。。子供達に何かしたい。。。私の人生の大きなテーマになっている。子供達の手を握ってあげたい。

子供達に何が出来るか❓

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