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「彼女」の願いが「私たち」の願いになる時:現役ヘルパーで大学教授の堀田聰子さんとの対話

焚き火のそばでゆっくりゆったりおしゃべりをするように、ゲストの方の人生の物語を伺うDHBR Fireside Podcast。第4回目のゲストは、慶應義塾大学健康マネジメント学科教授の堀田聰子(さとこ)さんです。

堀田_写真

大学3年の時、約1ヶ月間アメリカと日本の大学生が共に過ごし議論するという日米学生会議に参加しました。がんばって大学に入ったはいいけれど何をしたいのかわからないまま、いろいろ活動しながらもどれも中途半端のまま、気づけばあらもう3年生、という、どうにも冴えない大学生活を送っていた私にとって、日米学生会議の実行委員だった堀田さんの存在はただただ圧巻でした。

いつもやわらかな笑顔でやさしい話し方。ものすごく達筆で筆まめ。京都大学の学生をしながら、東京で日米学生会議の運営をばりばりこなしながら(実行委員は一年間ほぼフルタイムばりの時間とエネルギーをかけます)、私を含めぴーぴーわーわー言う参加者の面倒を見て、それでいて夜は介助ヘルパーのボランティアをしている。ヒッチハイクで全国の介助の事業所を回ったこともあるらしい。

その華奢な体でどうして倒れないの?いったいいつ寝ているの?いや、寝てないのか。そんなに寝ていないのに、どうしてそんなにおだやかなの?そのエネルギーはどこからくるの?

そしてその時すでに、堀田さんにとって介助はライフワークで、これからもずっとやっていくんだろうな、ということが側から見ていてもわかりました。すっと筋が通っていてとってもまぶしかった。神々しい、とでもいいましょうか。

実際に、堀田さんは大学卒業後、一貫して介助、介護、福祉、ケアの分野に携わりつづけていらっしゃいます。そしてヘルパーとしてもずっと現役でありながら、この分野の研究、調査、政策・制度提言、教育、社会の仕組みづくりなど幅広く動いている。

第3回のゲスト、歴史文化人類学者の森本麻衣子さんが、歴史の中の声を聴き取りそれを言葉として書きとめる、という話をしてくださいました。その時、障がいを持つ方、高齢者の方、ケアに携わる方々など、たくさんの人たちの言葉にずっと耳を傾け続けてきた堀田さんの顔が浮かび、純粋に久しぶりにお話ししたいという願いもあり、今回ゲストとしてお招きさせていただきました。

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「ぐわっとくる」感覚につかまれる

ずっと聞いてみたいと思っていたのが、なぜ堀田さんはそんなに若い頃から介助・ケアがライフワークだと思えたのか、ということです。そして若い頃のひとときの情熱で終わらず、本当にライフワークとして、丁寧に気持ちを込めて取り組み続けている。それを支えているのは何なのか。

堀田さんは二つのエピソードを共有してくださいました。

まずは小学校の時。自分が何をやってもまわりは「勉強ができるね」としかみてくれない。そこに息苦しさを感じた小学生の堀田さん、何かないかと障がい者の方の介助ボランティアセンターを訪問したそうです。(すごい小学生だ...)

センターを訪問した矢先、「ちょっと手伝って!」と呼ばれて入った初めての「現場」が、車椅子の方のお手洗い。通常他人が入らないお手洗いという場所に共に入る。そこでは自分は空気のようなそこにはいないかのような存在である一方、でもその方のお手洗いが完遂できるように介助者としてやるべきことはやる。それ以上でもそれ以下でもない、それがとってもすがすがしかった。

空気のようだけれど、そこにいないかのようだけれど、同時に自分がそこにいる意味は確実にある。その場では、勉強ができるとか、全く関係ない。その時その時がすべて。今でもその時のトイレのカーテンの色も覚えているぐらい、鮮烈な経験となり、その後介助の世界にはまっていく最初のきっかけになったそうです。

とはいえ、しばらくは、これがライフワークになるという感覚より、自分の介助者としての力不足を感じるほうが大きく、とにかくただ必死でやっていた。

そんな堀田さんが「介助、ケアの世界につかまれた」と感じたのが、ヘルパーの資格も取って本格的に介助の活動を始めた大学生の時のお話です。筋ジストロフィーやALSの方々と国内外を旅行する、その企画づくりや旅行時の介助をやるようになり、ある女性の介助者としてイタリア旅行に出かけました。

堀田さんが介助を担当する女性はアートが大好きで自分でも創作をしており、バチカンのシスティーナ礼拝堂に行くのを本当に楽しみにしていた。でも旅行初日から体調を崩し旅行中ずっとホテルで寝込み現地で治療を受けるという日々となってしまいました。その間堀田さんもほぼ寝ずにサポートし続け、でも最後の日になんとかシスティーナ礼拝堂に行けた。

二人でシスティーナ礼拝堂の天井を見上げた瞬間、ここに来たいという「彼女」の強い願いが、人称が溶けた「私たち」の願いとなった。当事者の彼女と介助者の私、ではなく、人と人として共に願う二人に戻れた感覚があり、その時にぐわっときた感じがありました。

ケアには人が持っている力がものすごい勢いで流れ込んでくる、そんな力がある。でも日常のケア関係では、それがヘルパーと患者間であれ家族間であれ、どうしても窮屈になってしまう。

どうしたら、人が持っている力をケアの関係性の中で拓いていけるのか。どうしたら窮屈さをほどいていけるのか。

これが、堀田さんが人生を通じて向き合い続ける問いとなりました。禅僧の藤田一照さんの問いが星空から降ってきたように、堀田さんの問いはシスティーナ礼拝堂の天井から降りてきたのかもしれません。

「空っぽの自分」であり続ける

大学卒業後、堀田さんは引き続き介助の現場でも活動しながら、シンクタンク、国内外の研究所、大学で勤務され、ケアの現場の調査・研究、それを踏まえた政策・制度提言、教育と、精力的に活動されていらっしゃいます。

堀田さんが、自分のあり方、立ち位置として一貫して大切にしてきたのは、「空っぽの自分」であり続ける、ということ。

自分の中にこれはこう、とか、これはこう変えるとよい、という思いを持つのではなく、自分の中を空っぽにすることで、触媒の役割であれるようにする。そして、空っぽであり続けるには、とにかく自分で足を運んで現場の声に耳を傾け続けることが大切だとおっしゃっていました。

耳を傾ける前からそこで出てくる話を予測してしまっている自分に気づいたら、自分の中に「こうでしょう」という思い込みが生まれているのに気づいたら、あえて自分の価値観が壊されそうなところ、自分が全然知らないところに自分の身を置くように心がけているそうです。

例えば、自分にとっては未知の保育の世界に行ってみる。海外のハウスレスの人たちと一緒に1週間生活を共にしてみる。見える風景を変えることで、自分の思い込みを外して、また自分を空っぽにしていく。それが、自分をすり減らさずに、燃え尽きずに、空っぽであり続けるこつでもある、と。

はあ、なんてすごい。そして、なんてその通り。(このあたり、Podcastでも、私は感じ入りすぎて、「はあ」「すごいなあ」「はあ」と、もはや黙っていた方がまし、というインタビュアーになっております。)

わからないところに自分を置く。それを面白がる。堀田さんはそういう「遊び」ともいえることがケアの世界でもきっと大事で、それがあればもっと、介助者と当事者などの決められた役割を超え境界が消える、人間と人間としての関係や本来の力が顔を出してくるのではないか、とおっしゃっていました。

わかっているところにとどまらず、しがみつかない。その裏にある不安やエゴを手放して、わからないところ、未知のところに自分を置き続け、それを楽しむ。そこから見えてくる風景をその都度まっさらな目で味わう。そういう生き方をすることが、結果として社会のためになる。堀田さんはまさにその生きる実例だと思います。


そしてこれは、振り返れば、これまでのゲストの方々に共通するところでもあります。

DHBR Fireside Chat。堀田さんやこれまでのゲストのような方々をお呼びしてしみじみとお話を伺って、自分の中にも深く潜っていく、そんな体験を毎回できて、とにかく自分は幸せ者だなあと思います。ぜひ多くの方々にPodcastでこの幸せの体験を共有していただけたら、と願っています。

*Podcastで "DHBR" で検索すると出てきます。

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Satoko Hotta
東京大学社会科学研究所特任准教授、オランダ・ユトレヒト大学訪問教授等を経て2017年4月より現職(医学部兼担、認知症未来共創ハブ・リーダー)。博士(国際公共政策)。人とまちづくり研究所代表理事、日本医療政策機構理事のほか、社会保障審議会・介護給付費分科会及び福祉部会(厚生労働省)等において委員。

中学生の頃より、おもに障害者の自立生活の介助を継続。より人間的で持続可能なケアと地域づくりに向けた移行の支援及び加速に取組む。2020年春には、新型コロナが介護・高齢者支援に及ぼす影響の実態と現場の取組みや工夫の把握を目的として緊急自主調査を実施、30人近くの有志とともに分析・公開。あわせてケアの仕事をするわたしからあなたへの手紙を募る「ケアレター」を仲間と始める。介護福祉現場の困りごとを手がかりに、全国各地のさまざまな関係者が取り組んできた実践、蓄積された知見や施策等の収集・整理を続ける。

日経ウーマン・オブ・ザ・イヤー2015リーダー部門入賞。






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