学習ってなに?
デモクラティックスクールにお邪魔して、「学びと成長の多様性」について子ども達と過ごし、そこに関わる大人とお話しする中で考えていたので、そのことについて書きます。
多様性ってよく言われる世の中で、どんなスタイルでも価値観でもその人にあったものが存在してる。プラスそれを認め受け入れあえる社会のことやとある人とお話しする中で解釈したんやけど、なかなか成立はしてないと実感した。
多様性を認め合うのってすごく難しいこと。
理由は、「人と違う」って大半の人間はすごく怖いと感じる。それに「自分と違う」を聞いて、理解して、受け入れることには体力が必要で、人によってはしんどいから放棄してしまいがちやから。
不登校って聞いたら=なんらかの理由で学校に”行けない子”って、印象を持ってた。
でもこれって全く負の要素なんかなくて、学びの場として学校という選択肢をたまたま選ばなかっただけ。
というか、むしろ「人と違う」っていう選択肢ができる勇気のある人やなって思った。
で、こうゆう人達が学校以外に選択する場所としてホームスクールとか通信教育とか塾、寺子屋があがるんかな。
いずれにせよ「教科学習」は多かれ少なかれセット。
「学習はまあ大事よな、でも、んー、なんかそれだけでもない。」
「自由とか好奇心が大切やとは言うけど、勉強ってある程度はしとかなあかんよなぁ。」て内心思ってた。
でも、勉強を今すぐに選択しなくても良くて、そもそもの人間力を磨くことが人間として大切なんじゃないか?と考えがシフト。
機械のゲームとかじゃなく、人と関わって遊ぶ中で得られるものがいっぱいある。
相手のことを考えたり、自分の興味あるものを手に取ったり、成功と小さな失敗体験を得てそこから立て直しのために作戦を練ったり、相手との力関係が生じてるなら交渉して加減したり、、、。話してたら好きなものが見えたり、手に取ったら不思議に思えて探究心が芽生えたり、芽生えなかったり、、。
これが学びたいに変わって勉強ていうアクションが起きて、結果として遊びで培った人間力がいきる。
色々あるよね、ルートもツールも。
要するにその子によって順番が変わってもいいってこと。
もちろん勉強から入ってこれとこれを組み合わせて、こんなものをしてみたいとかでもいいよね。
成長って別に勉強ができるようになるだけじゃないし、先生の話をしっかり聞けるから正解なわけでもない。
学校っていう教育環境が誰しもの個性にフィットするほうが難しい。
あとは、こうゆう学び方に対して知らないという理由で、ふーんで終わらすのではなく、このスタイルもあるんか、ありやな!って大人も学び、成長する心を持つ人が増えると良いなと。
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