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日記/5月のあれこれ①

5月*日

歩いていたら、ふわっと良い香りがした。みると、薔薇だらけのお宅があって、家のまわり本当に見事に薔薇だらけで、あたりに甘い匂いを放っている。通り過ぎさま、思わず鼻孔を広げるようにして薔薇の匂いを嗅いでしまう。ああ、いい香り。気持ちがふわっと和らぐ。しあわせをお裾分けしてもらったような気分になる。


5月*日

朝、いつも起きる時間より一時間以上早く目が覚めてしまう。そのまま起きて、軽く部屋を掃除して、窓をあける。朝の澄んだ空気が部屋のなかに流れ込んでくる。すこしひんやりしていて、涼しい。鳥の愛らしいさえずりが聴こえてくる。ときおり、遠く、風を切るような車の走行音も。朝の空気は気持ちがよいなと思う。清潔で、濁りがない。昨日までのすべてがリセットされて、「朝は新しい始まり」という気がする。余裕のある朝であれば、とくにそう思う。早起きでこそ得られる感覚、かもしれない。


5月*日

結局のところ、よさそうに思える経験も、よろしくないように思える経験も、どれも等しく、そのときの自分にとって必要な経験でしかないのだなあと思う。渦中にいるときには当然、感情の上下が出ちゃうけれども、あとで自分の中心に戻って俯瞰してみれば、本当にそれ以上でもそれ以下でもないのだなあ、とそんなことを改めて思う。

5月*日

暑い。夏の暑さだ。まだ五月だというのに、すでに真夏と同じ装いをしている。いまこの服を着ているなら今年の夏本番は一体どうするんだ、と思う。これ以上薄着にはできないし。つうか去年はどうしていたっけ、と思うけれども、去年の記憶はすでに喪失。えーっと、と首をひねって記憶を辿ったすえに、そっか、真夏になったら首にひんやりしたのを巻くんだっけ、と思いだす。暑いから引き算ではなく、むしろ足し算。日傘さして、ひんやり首に巻いて、扇子持って―。工夫と知恵と、あと忍耐、で乗り切る夏、である。


5月*日

バスに乗っている最中、用件があって母へスマホでメッセージを送る。互いに絵文字付きのやりとりをしたあと、いつものように最後は文字なし絵文字超羅列のみのメッセージで締めくくる(スマイルだのキラキラだのお花だの珈琲カップだの)。つまりはこれって、おばさん構文と呼ばれるものなんだろうけど、にしてもこれ、改めて眺めてみると、おばさん構文というよりもむしろ、古代の象形文字でのやりとりみたいだなとふと思う。バスのなかでつい、にやりとしてしまう。


5月*日

夢のなかで誰かに大きなパンをもらう。ポンデリングの巨大版のような、アップルリングのような、そんなかたちのパンで、すごーくふわふわしていて、細かい粉砂糖が雪のように全体にふわっとまぶしてある。割ってみると、なかには甘酸っぱいラズベリーのジャムがたっぷり。わあ、嬉しいなあ、なんだかこのパンいいなあ、と思って、ふんわり幸せな気持ちになったところで目が覚める。寝覚め良い夢で、もし自分がパン職人だったら、この夢をヒントに新商品の開発をするだろうなと思う。そしたらこのパンの商品名はなににしようか。ラズベリーパン。ふわふわパン。夢で見たパン。うーん、どれもちょっと違うなと思う。そうだ、『夢みたいなパン』。たぶん、これが一番しっくりくるな、と思いついて、ひとり満足してうなずく。

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