心地よさをお持ちかえり
カフェで心地よい時間を過ごした日、その日は夜になっても胸のあたりに心地よさがふんわり残っていることがある。
今日は、そんな日だった。
散歩がてら入ってみたカフェは思いのほか広く、自然光がほどよく入って、明るすぎず暗すぎずの落ち着いた雰囲気がとてもよかった。
耳に心地よいくらいの音量で洋楽が流れていて、珈琲の香ばしい匂いがたちこめるなか、居合わせた人の多くはおひとりさまで、それぞれが思い思いの自分時間を過ごしていた。
窓側の席に座り、私はカフェラテを飲みながら、本を読んだり、ノートを広げて思いのまま書きものをしたりした。席と席との間に余裕があるので、となりの人の気配もあまり気にならないまま自分時間に集中できるので、家にいるよりもずっとはかどる。
ふいに外を見ると、空は淡い水色で、いかにも気持ちの良さそうなお天気だった。実際、ここに来るまでのあいだ、気持ちの良い空気を存分に吸ってきたのだ。春の訪れを感じる空気のなかにはいつも微かな希望を感じることがあって、そうした目にはみえないきらめきのような光が、このカフェのなかの空気にもキラキラと混じっているような気がした。
店員さんたちの明るい声音。
珈琲の豆を挽く音。
控えめなボリュームの愉し気な喋り声と重なる音楽。
それら、どの音も尖ることなく、主張することもなく、そんな空気に柔らかく溶けていくような感じだった。
カフェにいるあいだじゅう、胸のあたりがずっと心地がよくて、なんだかとてもリラックスしながら自分時間を満喫できた。
家に帰り、夜になってから、ふと、胸のあたりに再び心地よさを感じた。
まだカフェにいるような、ふんわりとした感覚が残っているのだ。日中カフェで感じた心地のよさが、粒子のようになって体の隅々まで行き渡り、夜になって再び弾けているような感じだった。
そんなときはいつも、嬉しい気持ちになる。
今日はカフェからしっかり心地よさをお持ちかえりしてきたんだなあと。
そしてつくづく、ああ、自分はカフェに飲み物や食べ物だけではなく、そこの空気ごと味わいに行っているのだなあと思うのだった。
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