カフェと読書とぼんやり時間
先日、図書館に本を返しにいった帰り、天気がよかったのでそのままふらっと散歩して、となり街にあるカフェに入った。
ガラス張りの明るい店内は広々していて、まだ午前中だったこともあって、お客さんは高校生くらいの女の子と男の子の二人だけ。
わたしは温かいミルクティーを注文して、はじっこの席に座り、ぼうっとしながらミルクティーを飲んだ。ほんのり甘くておいしい。店内には外国の歌手の人が歌う、陽気なクリスマスソングが流れていた。
おもむろにわたしはリュックサックのなかから本をとりだし、ページをめくった。図書館に本を返しにいったとき、司書さんおすすめコーナーで目に留まった本を一冊借りてきたのだ。すこし不思議な物語のつまった短編集だ。
体は現実の世界においておきながら、意識は本のなかにあるもうひとつの世界にもぐっていく。すると、クリスマスソングはいつしか聴こえなくなり、活字のなかの世界の音や気配、温度が徐々に自分を包みはじめる。
水泳なんて本当は苦手だけれど、気持ちよく水泳をしているような気分で物語の世界を泳いでいく。すーい、すーい、と泳ぎ、でも途中、あれ、と首をひねり、あら、とくすくす笑う。
もぐった先にある世界には無限の広がりがあって、そこに秩序なんてものはどこにもない。自由な気持ちで物語の世界を泳ぎ、息継ぎするように現実に戻ると、元の世界ではクリスマスソングが流れ、目の前にはまだ冷めていない温かなミルクティーがある。とても平和で安全だ。わたしはだから、何度でも物語の世界へもぐっていける。意識はどちらにでも器用に行き来できる。
ふうっと満足するところまで読んだところで本を閉じ、ぼうっとしながら店内をみわたすと、女の子と男の子はまだたのしそうにおしゃべりを続けていて、いつのまにかスマホをいじっている制服姿の女の子やゆっくりお茶をしている年配夫婦の姿があった。
とても心が和いで、しあわせな気分だった。
こうしてお茶をして、本を読んで、ぼうっとする時間が愛しい。
当たり前のようで、必ずしも当たり前でないひとときが、尊く思う。
カフェと読書とぼんやり時間。
それはつまり、このうえない幸福時間だ。
お読みいただきありがとうございます。