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小説『だから優雅にティータイム』

おいしいものから生まれる小さなストーリー」は、自分の好きなおいしいものから想像したストーリーを綴っていく小説集です。今回のストーリーの種となるおいしいものは、モロゾフの「デンマーククリームチーズケーキ」です。(約2000字)

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 おとといの夜、失恋をした。
「話がある」とデートの別れ間際に突然彼に呼びとめられて、「どうしたの?」と訊けば、「他に好きな人ができた。ごめん」だなんて、あまりの衝撃にわたしはそのあとうまく言葉を返せなかった。怒りよりも、悲しみよりも、ただただひたすらショックを受けて、よりによって雨の降りだした道を、わたしはひとり、傘もささずに歩いて帰った。

 帰ってから、なんで今日言うのよ、と腹が立った。
 明日も仕事があるのに。失恋休暇なんて、そんなシャレた制度の無い会社なのに(あっても使えない気もするけど)。今日は木曜日なんだから、別れ話はせめて金曜日にしてよね、と怒るポイントが多少ずれているような気がしながらも、今に始まったわけでもない彼のそうした気の利かなさに対して、無性にイライラが募った。でもしばらくしてから、もう金輪際、彼に会うことはないだろうから関係ないか、とも思い直し、その日は早めの就寝をした。

 それで今日、土曜日。
 わたしは近所のデパートに赴いて、好物のチーズケーキを買ってきた。自宅に戻るとすぐにお湯を沸かして熱い紅茶を淹れて、まずは直径十四cmのホールケーキをトレイから外して四等分し、半分はお気に入りの素敵なお皿のうえに、もう半分は別のお皿のうえにのせてラップをかけて冷蔵庫へ入れた。そして一人暮らしの簡素なインテリアのなかでは唯一、おしゃれと胸を張れる、桃色の愛らしい花瓶の置かれた丸テーブルのうえにそそくさとティータイムのセッティングをし、BGMとしてめったに聴かないクラシックのピアノ曲を控えめなボリュームで流してみれば、なかなか上等なティータイムの始まりである。

 いただきます、とわたしは小さく手を合わせ、早速フォークでケーキを一口大に切り分けて食べてみれば、ねっとり濃厚なチーズにレモンのさわやかな風味が合わさって、おいしい…、と思わずつぶやかずにはいられない。続けて、しあわせえ…、とすこし間の抜けたような声も出してしまう。

 黄金色にこんがり焼けた美しい見た目のそれは、デンマーク産の上質なクリームチーズを使っているらしく、なるほどなめらかでコクがある。十分な食べごたえもあるのに、意外と価格は手頃で、わたしは昔からこのケーキが好物なのだ。

 だからといって、わたしは今、振られた鬱憤を晴らすためにこのケーキを利用しているわけではない。そんなの冗談じゃないっ、と思う。紅茶であいま口のなかを潤しながら、ゆっくり味わうように、一口一口、上品に食べ進めるのがいい。決して泣きながら、味も分からないまま、ガツガツ食べるなんてことはしたくはない。そんな行為は好物に対する冒涜だとすら思う。このケーキはだって特別なのだから。というのも、このケーキはわたしの祖母の好物でもあったからだ。

 五年前に亡くなったその祖母は、わたしをとても可愛がってくれた。優しくて、あたたかくて、ユーモアのある人で、幼少時代のわたしが「学校嫌い!行きたくない!」と駄々をこねてまわりを困らせたときであっても、「だったら学校なんて行かなくていいから、おばあちゃんの肩でも揉んでいてちょうだいな」と不安を一掃するような笑顔でぎゅっと抱きしめてくれるような人だった。そんな鷹揚な祖母のことがわたしは大好きだったのだが、そんな祖母が一つだけ、眉間に皺寄せ、口を酸っぱくして言っていたことがある。

 それは、「悪い男にだまされないように」、という台詞だ。

 おそらくかわいい孫を心配してのことだったのだろうが、顔を合わせるたびに祖母があまりにそれを繰り返し言うものだから、すっかりその台詞はわたしの細胞のすみずみまで深く沁み込んでしまった。

 だまされないように、だまされないように。だからわたしも男の人と付き合うときにはそれなりの注意をしてきたはずだった。それなのに…、とフォークを口に運ぶ手をいったん休め、
「おばあちゃん、ごめんね!だまされたー!」
 と天に向かって大きな声をだしてみた。

 だしてみたけれど、すぐに、あれ?と首をひねった。べつに彼、わたしのこと、だましてなんかいないよね。馬鹿正直にいきなり別れ話を告げてはきたけど、付き合っていたときに何かひどいことをされたこともなかったよね。それで慌てて、
「おばあちゃん、わたし、だまされてなんかいなかったー!失恋はしたけど、大丈夫だからー!」
 と天に向かって訂正してみたら、大きな声を出したせいか、ほんのすこし、胸のあたりがすっきりした。

 それからわたしはティータイムを満喫すべく、紅茶を優雅に飲みながらチーズケーキをたらふく堪能した。ここのチーズケーキは安定のおいしさだ。うふふ、とわたしは満たされたお腹を片手でさすりながらも、胸の奥にはまだ疼きが残る。失恋はやっぱり悲しい。けれど、去る者追わずでいこうと思う。そしてもし、次に来る者があったなら、そのときはすべて拒まずではなく、もちろん、きちんと選ばせてもらおうじゃないか、と気持ち強く思ったのはやはり、このケーキを食べたらかつての祖母の台詞が、耳の奥の方でよみがえったからなのかもしれない。

(了)

☆モロゾフ11 mini

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