私の物差し

私の物差し

私はどうやら10年スパンで人生を転換する癖があるようだ。
特に意識をしている訳ではないけれど、10年経てば大概のことは見極めがついて、周囲に受け入れられ始めるのは事実だと思う。
人は少し違うことをする人や、見慣れない動きをすることに、とやかく言うものだ。ただそれも3年も経てば飽きられ、10年経てば受け入れられる。(というかどうでもよくなるとも言う)同じく自分自身も、このままこの道を進むのか、踵(きびす)を返すのか、どこか別の道へ飛び込むのかが見えてくるタイミングだと思う。

プライベートも10年更新を行ってきたが、これは置いておいて、仕事のことを考えてみる。
様々な短いスパンの仕事を渡り歩いた後、建築設計の道に入って、最初に勤めた会社は20年居た。その間に結婚、出産、二級建築士、一級建築士を始め、私が信じることの為に、様々な資格取得を重ねてきた。そして独立したのが20年目。今から9年ほど前になる。

独立してからは怒涛の様な日々だった。2年ほど家から近く静かな環境の住宅街に事務所を構えた後、中心市街地の天神町の白潟天満宮の鳥居前に小さな面白げな建物を見つけて転居した。それはとても小さな建物だったけど、神社の大イチョウが窓いっぱいに広がるのんびりした良い場所で、2階を事務所にしながら、1階は町に開きたい、と小さな雑貨屋兼インテリアショップをOPENした。
そのまた1年後に同じ町内で大きな空き家が出て、それを現事務所を仲介してくれた不動産屋さんが買ったのを機に、そこでの場づくりに関わるようになった。カフェやシェアキッチンを営みながら、自分自身も朝から厨房でお弁当を作り、毎日18時間働くということを1年3カ月行った。縁があり、カフェの経営を手放し、同じ町内で転居をしながら、様々な活動を続けて来れた。
10年前にこんな生活を私がするなんて、私は想像して居なかった。

と思っていた。つい昨日までは。
2011年に私がFacebookに書いたプロフィールを読んでみよう。
「耐震診断、ホームインスペクションを通して古き良きものを安全に残して次の時代に繋げたいと思っています。
また企業と作家さん、大家さんと企業家などを繋いで活気ある町づくりがしたいです。」とある。あれれ。これを書いたのはまだ私が勤め人だったとき。12年経つけど、何も変わっていないではないか。

このことを驚きと共に事務所のスタッフに伝えると、「目的を叶えて来たということでは無いですか。」と言ってくれた。そういう考えもあるだろう。でも、私は自分に言いたい。「もうそろそろ次へ行こう。」と。始めたことは止めない、というのが私の信条でもあるので、今までの目標を取り下げたりは決してしない。でも見える景色が変わったのなら、新たな思いを見つけないといけない。

来年、事務所をつくって10年を迎える。次の10年をどう生きるか。決める場所に来ている。

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