誰の為にまちを作るのか
先日のことです。
忙しいというのに夜中のドライブに行きました。
これは衝動性と共に生きてきた私の癖みたいなもので、その週にどんな徹夜作業が待ってようと、仕事が遅れ気味であろうと、気分転換が必要だと思ったら飛び出します。ドライブ中は作ることやアイデアを纏めず雑多に考えているので、仕事や抱えているプロジェクトを忘れる為のドライブでは決してありません。
そんなこんなで、非日常を味わいたいと思った私が思いついたのは
「そうだ!雪を見よう!」
翌日から松江も雪予報だったというのに、あえての雪。
雪の先取り。
そんな訳でお隣鳥取県の大山に向けて車を走らせました。
米子インターから高速に乗って、溝口インター辺りから目論見通り雪が降り始め、蒜山インターで降りた辺りは一面の雪、雪、雪。
しかもまだ私が行く車線には轍の後が無いという心まで真っ新になるような、しかも足跡をつけながら歩く子供の様なワクワクもあるような、超絶私好みのシチュエーション。山に登ろうか、一般道で北方向へ戻ろうか考えましたが、山に向かったところで冬季通行止めの看板と吹雪に考えを改め、一般道で山を下ることにしました。
白い雪。新雪の世界。私がここに居ることを誰も知らないというワクワク感。そんな中現れては消える集落に、行き先を変更してみたり、集落内を通過してみたり。大きくヘアピンカーブが続いて、標高を一気に落としているな、と感じた時に眼下に広がった町が江尾の町でした。
一目で「行くべき」と感じたので、町に最短でアクセスしようとしたのですが、急な細い坂道がいくつかありましたが、私の小さな愛車でも行くべきか迷いながらいくつかの分岐点を逃し、道なりに走って下っている内に、神社と寺院を掠めて、大きくカーブし、江尾の町にたどり着きました。
江尾の町は一言で言うと路地の町でした。町の中心の街道もそれほど道幅は無く蛇行し、その両側に町屋が立ち並んでいます。どこか昭和を感じさせる家構えの旅館が数軒。不思議な少し高めの位置に在るガレージ。空中に浮かんだとってもお洒落であっただろう螺旋階段。
中心を貫く道路に向かって、私が降りてきた山側から複数の水路が勢いよく流れ込みます。それは通りを過ぎると緩やかに蛇行しながら大きな川に注いでいくと思われるのですが、その両側にまた小道や家が立ち並んでいます。町を構成する道が緩やかに湾曲していたり、角度を持っているので、町の景観が視点が変わるに従って様々に変化します。
夜中の訪問者ですので、静かに徐行しながら、でも停車を極力避けながら、町をゆっくり二往復しました。
そこでふと思ったことがあります。
私はまちづくりを仕事にしては居ないのですが、まちづくりの人、と呼ばれることが増えて来ました。私は町に必要なもの、課題を見つけ、それが自分の力で出来ることであれば、自分の力で実現してきました。大きな課題を自分のスケールに落とし込み、小さな私の力が少しでも影響を生むように、イメージを練りました。そこに居る人。町で将来活動する人に届けばいいと思っています。だからでしょうか。都市計画や大きなスパンでの都市の再編にあまり興味がないのです。自分自身も商売をしました。その視点から思うことです。
そこに住む人がいます。そこに住む人が過ごす場所があります。そこに住む人を見に、そこで買えるものを買いに、他所から人がやってきます。一番根本にあるのは、住人だと。町の景色を作り、成り立ちを作り、底力を支えているのは住人です。住人が楽しくなくてはいけない。そしてやらなければいけない。そこから生まれる唯一無二の景色があります。
昭和の色を色濃く残しながら、人少ない深夜の町に強烈な個性と人々の営みのパワーを滲ませてる江尾の町を見て、そんなことが心に浮かんだ夜でした。
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