さざめきの中の日常
さざめきの中の日常
飲み屋で偶然居合わせたひとたちのさざめきを聞きながら、ぼんやり飲むのがとても好きだ。
こうして外に向けた発信の表現としては、本当に子供じみていて拙い表現だけど、やっぱり、とても好きだ。
元々お酒を飲むことが好きなので、ひとりで飲むことも多いのだけれど、気心知れて「ただいま」という店とは別に、知らない店に入ることを時々自分に科している。科している、というと格好は良いが、一瞬の緊張と引き換えに、実際は自分が何より楽しんでいるので、自分に甘い、の一部なのかもしれない。
前置きが長くなったけれど、知らない店の扉を開けて、お店の人に気づいてもらえるのを少し待って、「ひとりですけど」と一本指を立てて、案内された席に座る。酒と何か一、二品を頼んで、何とはなしに店に満ちているざわめきに少しだけ心を開く。
皆が色々な話をしている。今日のパチンコの戦果。営業先での愚痴、今週末の旅行の計画。
面白いことにその会話の内容は、居酒屋でもレストランでも、バーでも変わらない気がする。どこかの料亭や地下のクラブでは私の知らない特別な会話がささやかれてるに違いないと思うけど、私が歩き回る世界は、いつも平穏だ。
そこには日常がある。
日常は悲しみや苦しみや迷いを含んでいる。
毎日はとても辛く、とても面白い。同じ日常でもその場に偶然居合わせた人が居て、場ごと、時ごとに違う。
世界は常に新しくて、出来事が緩やかに降り積もっていく。
初めての店、知らないひと、そして私もその何でもない日常の一部である。
それを知るとき、私はいつも少しだけ嬉しくなる。