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言葉たちへ

嵐のような毎日のなかで、常に思考はやまないのに、わたしの頭の中を、ただ通り過ぎ、行き去っていった言葉たちが、
「忘れないでくれよ」
「書き留めておいてくれよ」
と、うらめしそうにこちらをみながら、無慈悲にも、荒波の彼方へ飛ばされてゆく。
ごめんね、と胸がしめつけられても、動きだせない自分を、責めることができない。その力がわかない。

何から書き始めたらいいのか。
混乱してしまうほどに、33歳という日々は、一日一日を、満身創痍で生きすぎた。
週末の私たちときたら、さながら、週末という概念を持たぬ、小さなねずみたちに啄まれる屍。
私たちの暮らしに、欠かすことができなかったはずの旅も、遠めのおでかけも、計画にすら頭がまわらない、レイジーにも程があウィークエンド…
エンドがあればいい。
エンドレスなんだよ、日常は。
自分のなかから自然とわきあがってきた合いの手に、泣きそうになる。

誰かが憎いわけではない。
自分の責任を問いただすわけでもない。
ただ、ゆっくりと、眠りたい。
部屋を真っ暗にして、ちゃんと確保された自分のスペースで、パリッとノリのきいたシーツと、充分に包み込んでくれる高さのある枕で、まっすぐな姿勢で眠りたい。
そして、ただただ、ただ、ゆっくりと風呂に浸かりたい。
誕生日を前に、ほしいものなんて、そのくらいしか思いつかない自分を、シンプルでいいじゃん、と高みから笑う私も、またいるのだが…

冒頭であげた言葉たちの姿は、荒れ狂う海が舞台で、灰色の空の下、立ち尽くす私がいる。最近の私は、いつも暗い砂浜にいて、身も心も砂っぽくきしんでいる。そんなイメージだ。

ここ数年、視界も何もかも曇り滞っている。
しかし、そんな私の言葉にも、耳を傾けてくれる人がいる事を知り、暗い砂浜にも、一、二度、あたたかな陽射しのさしこむ瞬間があった。
そんな時、好きを通り越して、お守りのような存在になりつつあるアン・モロウ・リンドバーグ「海からの贈りもの」一節が、頭のなかを流れだす。
わたしと同じ入り江にたたずむ人たちへの感謝と友情を添えて、ここにわたしは、海からうけとったものを、いま海に返す。

私と同じように、子どもに翻弄され、悩みながらも、毎日を生き抜いている同志たちへ。そして、環境はちがえど、仕事や日々の暮らしを、それぞれの思いのなかで、尊く、くりかえし続ける仲間たちへ。
荒削りになってしまったとしても、まさに感謝と友情を添えて、私もそれを返してゆきたい。

余白のほとんどない私の人生のなかで、できることは、それしかない。
睡眠や休息をのぞき、いま、わたしはそれがしたいのだと思う。

どんなに大変な日々が続くとしても、そこから逃げ出さず、そしてまた、過去に戻りたいなどと、決して思わず生きてゆきたい。

「大変な時が、一番いい時よ。」

いつか、たまたま居合わせた老婆に、ぽんっと手渡された金言が、今日も私を支えてくれている。
海は、誰に対しても開かれている。
34歳の誕生日を迎え、まずはわたしも、波打ち際に立ち、いつか持ち帰った貝殻を、寄せる波に、たくそうとしている。

麻佑子

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