万能、魔法の塩とダンス
以前、おもちゃを買い与えても、どうやって遊ぶのか思いつかなければ、全くやくに立たないというような趣旨のことを書いた。
息子が2歳まじかになり、さらに、親自身の想像力の大切さをひしひしと感じている。想像力というか、発想力というか。
なんとなく言葉も通じるようになり、嫌なものは嫌だ、と主張するようになってきた。体重は11キロ近くなり、無理やり抱っこして連れて行こうにもしんどい重さ。息子は癇癪持ちで、一度火がついたら、なかなか消火するのが難しく、パニックのような状態に陥ってしまうことがよくある。
一旦、火がついてしまったら、真正面から言葉を投げかけてもダメで、なんでもいいから、「気を紛らわす」というワンクッションが必要だ。
ギャンギャン泣いて床に突っ伏し、さらにエスカレートすると自分の指を口に突っ込んで吐こうとする(実際に吐くこともある)。そんな状況下において、冷静な言葉を選ぶのは難しく、途方にくれて立ちすくむことも度々ある。
自分の弱さを露呈してしまえば、大声で怒鳴ったり、ほっぺたをつねってしまうことさえある。
同じような状況の時、夫の想像力には、いつも敵わないなぁと感服してしまう。
「ほ〜ら魔法で美味しくなる塩をかけてあげるよ!パラパラ〜!」
「魔法でお茶が美味しくなるよ!それっ!」
息子は泣くのをやめ、夫の手元をじっと見つめる。そして大人しく従っているではないか。
それからしばらくは、「魔法の」力が定番になって、息子に方から、私たちに魔法の塩をかけてくれるようになるのだから、侮れない。
なかなか寝付けず、絵本を読むのもままならないパニック寸前の息子に、あたかも既存の物語を読むかのような落ち着きで、ソラで自作のお話を語りかけはじめる。
それは、たちまち息子のお気に入りのお話となり、夫のいない夜にも、せがまれたりして、私を困らせるが(私が見よう見まねで話しても、うまくいかず、ちがうそれじゃないと、機嫌を損ね、逆効果。お母さんには無理だから、絵本でいいよ。とでも言いたげにさっき投げ捨てた絵本を渡してくる。)絵本をしのぐ、入眠の一話にまでなった。
イライラしている時、本当に必要なのは、大きな声で威圧することでも、力でもなく、想像力。そして、パニックに陥っている自分と息子のカオスな状況を笑える力。苦し紛れの子供だましの魔法でも、怒った顔よりもずっといい。
残念ながら、私には夫ほどの瞬発力を持った想像力も発想力も、備わっていない。
気の利いた言葉も、お話も、すぐには出てこない。
黄昏泣きを助長する、魔の夕方、聞かん坊に成り下がった息子の泣き声と、それに促され、負けじと泣く2ヶ月の娘の泣き声で、自分の声も聞き取れなくなった時、私は踊った。呆気にとられるこどもを置き去りにして、ディズニーランドのキャストさながら、咄嗟に、私は踊り続けた。カラオケに行っても、音痴な自分を晒すくらいならと、一曲も歌わずにやり過ごしていたこの私が!?と、笑えてくる。
「もういっかい。」
頰に残る涙のあと、鼻水でくしゃくしゃになった破顔の横に、小さな指を立てて、鼻声でつぶやいた。もう泣いてはいない、むしろ微笑んでいる。
正解はこれなんだ。想像力さえあれば、無敵。
自分の殻を、ゆで卵のようにつるんとむいてくれる子どもに感謝しつつ、もっと頭を柔らかく柔軟にする方法を模索している。
ちなみに、写真は、息子が公園で見つけた「新幹線」。私も誘われて、乗車しました。
ああ、このくらい頭を柔らかくして生活してみたいものです。
麻佑子