毎日がドラマ
息子が生まれてからというもの、一体、どれくらい初対面の人と話したことだろう。
上京してからこの方、隣の部屋に住む人とさえ、一度も言葉を交わさぬまま引っ越したこともあるし、一日中、誰とも口をきかない日だって、ざらにあったというのに。
本当に、今までの私と同じ世界を生きているのだろうかと疑いたくなるほどに、一歩家の外に飛び出せば、最低5人以上の人と会話している。
通りすがりに、あら可愛い!と息子の足をさっとひとなでしてさってゆくおばあちゃん。
隣の車両の窓越しに、息子をあやしてくれた金髪の大学生。
向かいの座席に座っていたのに、わざわざ席を移動して、息子の寝顔を見に来てくれたおばさま。
三人の子供を育て上げ、男女の育て方の違いについて語ってくれた、サラリーマンの中年男性。
息子が遊ぶ手作りのおもちゃを見て、「参考にさせてください!」と話しかけてくれた、明日から安定期に入るんですと、嬉しそうに教えてくれたカフェのウェイターさん。
息子の話す喃語を、翻訳できる、謎のおじさん。
「抱っこさせて〜!」と息子を代わる代わる抱っこしてがる、喫茶店で隣り合わせた主婦のグループ。
泥だらけの作業着で、ぐったりしながらワンカップ酒をあおりつつ、顔芸で笑わせてくれた、(本当に怖いかった)強面のお兄さん2人組。降りるとき、恐る恐るお礼を述べると、細すぎる眉毛をハの字に垂らして、「めちゃくちゃカワイイす!」と一言。
ご自身も男の子のお孫さんがいるという、金髪の初老のカナダ人女性は、息子とのツーショットを記念に撮影していた。カナダへ渡った息子の写真。
カフェで絵本を読み聞かせていたら、「すごく真剣に聞いているわ、so cute!」と帰り際にわざわざ話しかけに来てくれた、これまた白人女性。
満席の優先席をあきらめ、少し離れてドアのところに立っていた私に、「私、急行に乗ることにするから、ここ、座って!」と席を譲って、パッと電車を降りてくれた、中年女性。
思春期まっただなかの、修学旅行中の中学生男子集団。恥ずかしがる友人を尻目に、「俺の弟もこんくらいの時、めっちゃ可愛かったんすよー」と、渾身のいないないばあで、息子と遊んでくれた。
「お!座敷わらしみてーだな!」とリアクションの取りづらいコメントをくれた、不思議なおじさん。
「Wow! イイナ、ママニダカレテ!オレモソノコロニ、モドリタイヨ!」とオーバーリアクションで近づいて来た、白人の工事現場の作業員さん。
いわゆる、オタク、と称される若いお兄さん、好きなアニメキャラクターのキーホルダーで、ぐずる息子を必死であやしてくれた。
お向かいに座った、5歳くらいの男の子。自分の持っている絵本を、覚えたてのひらがなで読み聞かせてくれた。
もちろん、怖いこともあった。
バスの降車口付近に立っていたら、「邪魔っ!」とおばあさんに体当たりされ、抱っこしていた息子の頭が、手すりにゴンとぶつかった。バスから降りた後も、ずっと私をにらみながら、悪態をつかれ、平謝り。
飲食店で奇声を発した息子に、「うるさいなぁ〜もお〜」と舌打ちするおばあさん。一緒にいた娘さんに怒られていたけど、確かにうるさいよなぁ、と恐縮した。
「頑張ってね、今が一番大変で大事な時」「すぐに大きくなっちゃうから楽しんで」「みんな通って来た道だから大丈夫よ」「今何ヶ月?」と声をかけてくれた、数えきれない人たち。
自分の経験談を、お孫さんの話を聞かせてくれた先輩方。
電車で、バスで、レストランで、デパートで、息子をあやし、微笑みかけてくれた人たち。
この大都会、東京で、もう会うことはないけれど、「またね」と手をふってくれた人たち。
そのすべて、思い返すと、胸がきゅうっと、いっぱいになる。
全部に、ありがとう、と素直に思う。
あの時の、あの人の顔を、ふっと思い出すことがあるんです。
たくさんの人生の断片をかいま見て、物語を聴かせてもらった。
息子が生まれてからというもの、私の日常は、ますますドラマになってゆく。
麻佑子