はずむこどもたち
わけあって、母子入院している。
私たちが病床を与えられたユニット(という名称で区切られている)は、我が子のような0歳の乳幼児から、小学生、中学生、高校生までの幅広い年齢層の子どもたちが入所する、いわゆる小児病棟だ。
県内外から、様々な理由でやって来る子どもたち。
それぞれの日程で、やってきては、帰っていく。
構成は日々変わる。
年齢も性別も、病状もちがう子どもたちが、ある一瞬の共同生活を強いられている。
そんな子どもたちの様子は、実に興味深い。
病院にやってきたその日は、親と別れ、まだおどおどと、心細そうだ。
まるで道端の小石のように、静かに、周りの様子をうかがっている。
しかし、日が経つにつれ、あのおとなしそうな姿はどこへやら。
限られた空間で、楽しみを見出し、誰から声をかけるわけでもなく集い、ともに育った幼馴染かのように、いつのまにか、けらけらと親しげな笑い声を立てている。
ぽーん、ぽーん、ぽーん。
コロコロコロ。
まるで、弾むボールのようだ。
週末、長期入院をしているほとんどの子どもたちは、付き添いの大人たちと共に一時帰宅をする。
土曜日。
にぎやかな平日とはうって変わり、しーんと静かな朝がやってくる。
しかし、それも、つかの間のこと。
病状によって、外泊を許されぬ子らは、休日出勤の看護師を除き、医者も、付き添い入院の親たちもいなくなり、大人が勢力を弱めるこの時を、待ってましたとばかりに転がりだす。
ぽーん、ぽーん、ぽーん。
コロコロコロ。
どこの部屋からともなく、飛び出したボールに、続け続けと、弾み集まってくる。
ぽーん、ぽーん、ぽーん。
コロコロコロ。
けらけらけら、きゃっきゃっきゃ。
かつて小学校の教師だった私は、
「病気の患者さんが寝ているのよ、静かにしなさい!」という台詞が、どこからか聞こえてくるのを待つ。
しかし、その心配は無用。
今日は休日。子どもたちの天下だ。
楽しみの少ない環境下に置かれた小さき者に、残された大人たちは、みな寛容になる。
おそらく、病院の外で出会っていたなら、決して交わらなかったであろう子どもたち。
もしも一緒のクラスにいたとしても、同じグループで過ごすことはなかったであろう彼女ら。
その見た目からは、およそ、こんなに親しくなろうとは、予想もつかなかったなかった彼ら。
この病院という、特殊な場所においてのみ、親しくなって身を寄せ合う。
何か面白いことはないかと、目を凝らし、転げ回っている。
今この時をいかに楽しむか、そのまっすぐな欲求を目の当たりにし、感心してしまう。
きらきらとまばゆい、木漏れ日を眺めているような気分だ。
まだ彼らと交わるには、小さすぎる我が子。
私は、眠る子の傍で、じっと耳をそばだてるだけ。
そうして、子どもたちと少しも変わらず、この環境下で楽しみを求めて、弾むボールを追いかける自分の姿に気がつく。
ぽーん、ぽーん、ぽーん。
コロコロコロ。
そら!
また弾む。
今日も病棟のどこかから、看護師さんをからかい、ケラケラと笑い逃げ出す、音がする。
麻佑子