ネオンからの卒業
母は厳しい人で子どもたちがいい年齢になっても門限があったわが家。私が高校生のときは塾の日以外は17時、大学生になっても22時までに帰宅するようにと強く言われていた。少しでも時間を守らなければ鬼電、帰宅後はこっぴどく叱られた。周りの同級生は連絡をすれば電車のある限り遊べているのにどうして私はだめなのと訴えてみても、伝家の宝刀「よそはよそ、うちはうち!」を抜かれるので何も言い返せない。
子の親となったいまではその門限も特別厳しいものではなかったのだと分かるけれど、当時の私はとにかく門限を破りたくて仕方なかった。それはそのまま夜の街に対する憧れの強さとなっていった。時々友人に連れられて繰り出す夜の街は活気があってキラキラしていて、でも大学生の私ごときが踏み込んではいけないダークな一面もしっかり見えていて、その混沌はとにかく魅力的だった。飲めるようになったばかりの、居酒屋の安いお酒の力を借りてふわふわとした足取りで歓楽街を歩くのは、親には話せないいけないことをしている実感でいっぱいでとても楽しかった。
そんな私も結婚、出産を経ていい大人になった。子も小学生になりあまり手がかからなくなったので、時々母に預かってもらい昔からの趣味であるライブ参戦をするようになった。ライブのほとんどは夜に行われ、ライブハウスはたいてい歓楽街の中にあるので私は必然的に夜の街に繰り出すことになる。ライブには基本的にひとりで行くので終演後にヲタ友と感想を語り合いながらグラスをかわすなんてこともなくまっすぐ帰るのだが、駅までの道を歩く私の目にうつる夜の街が若い頃に憧れたそれとは全く違うことに気付いてしまった。キラキラしているように見えたイルミネーションも夜の街に身を浸している楽しそうな人々も、私をかき立てるものではなくなってしまったのだ。そして騒いでいる若い子たちを「こんな時間まで危ないな」と親の目で見てしまう。
歳を重ねたことによって世界が色あせて見えるようになってしまったのか、子の親となったことで安全とは真反対の夜の街を警戒するようになってしまったのか。それとも時代が変わったことで夜の街がより危険なものになったように感じてしまうのかもしれない。色んなことを考えながら、千鳥足で歩く若者を横目に私は御堂筋を歩く。